商売は、基本的に on demand である
お客様に
「これこれこういう物にならば、こんぐらいまでのお金を払ってもよい」
という要望・欲求が発生する。それを実現するものをその場で提供する。あなたにお金が入る。これが商売。だから、「要求に応じて」(on demand)。
エリヤフ・ゴールドラット博士が制約理論を振り回して言っているのも、ようするに on demand で商売をしろ、 on demand を徹底しろ、と言う事に他ならない。
「なーんだ。じゃぁ、どうやったって無理じゃん」
あー、いや、そうじゃないんだな。確かに商売の基本は on demand なんだけれども、あなたの元に「要求」がやってくる頃には、お客様の demand はなんかおかしなものが一杯ぶら下がった状態になっている。それら、「おかしな demand」を外していこう、というのがここでいう off demand。
例として。あなたがサラリーマンで、どこかの事務所に務めているとしよう。多くの事務所では、18:00 ぐらいになると清掃の人が入ってきて、ゴミの回収と床の掃除機がけをしてくれたりしないだろうか?
では、ここで質問。
清掃の人が、18:00ぐらいにゴミ回収と床の掃除機がけをする、
その理由は?
うん。仕事の最中に掃除の人がうろうろするのは邪魔だよね。機密情報を見られるかもしれないし。だからせめて定時を回ってから掃除をして欲しい。それは清掃会社からするとお客様の demand だよね。
でも、じゃぁ、なぜ 18:00? 19:00 とか 20:00 とか… 22:00 とかじゃなくて。いや、03:00 とかでもいいはずだよね? なぜ 18:00?
清掃をする人からすれば、そんな夜中に仕事をしたくない。清掃会社も自分の社員に深夜手当を出したくない。コストがかかるから。だから、なるべく早い時刻帯に清掃をやりたいわけだ。これは 清掃会社側の demand だよね。
このように見てみると、実は「18:00ぐらいにゴミ回収と床の掃除機がけをする」という、たった1つの作業項目には、お客様の demand 以外のモノが含まれていることが判る。そして、お客様側の demand はなかなか手をつけられないかもしれないが、自分側の demand は取り外せるかもしれない。
どちらも、部屋を掃除させるとその動きはものすごく馬鹿だ。人間ならその何百分の一かで掃除出来るような所をえっちらおっちら掃除してくれる。でも、十分な時間をかければそこそこの掃除はしてくれる。でも、やはりその結果はそこそこ。はっきり言って
四角い部屋を丸く掃く
と言う表現がぴったりだ。
このルンバに毎晩あなたの事務所を掃除してもらったらどうだろう?そう… 22:00とかにスタートさせるんだ。 多分一晩かかるだろうし、掃除出来るのは床全体の 80%を超えることはありえないだろうが、まぁまぁ、きれいになる。で、週に1度だけ人間が掃除機をかけて、残り20%…主に部屋の角になるんだろうけれど…に掃除機をかけてもらう。
ルンバは一晩中掃除をし続けるだろうけれど、その頃には事務所にはあらかたの人はいなくなっているから邪魔ではあるまい。一晩中掃除をし続けるとしてもロボットだから就労規則もへったくれも無い。文句をいうこともなく、深夜手当も必要ない。
ゴミ回収は相変わらず人間に毎日やってもらって、その時にルンバの中のゴミも回収してもらう。
これで、清掃会社側の demand 「夜遅く掃除機を掛けると深夜手当が必要だから、なるべく早い時間帯に掃除機をかけたい」の一部は解消されたよね。人間が掃除機を掛けるのは相変わらず 18:00 からだけれど、それは週に一度になった。
ゴミ回収の時刻は 18:00 じゃなく 18:30 からにできるかもしれないね。掃除機を掛ける時間が不要になった分時間が短縮できて、ルンバのゴミも回収しなくちゃならない分時間が伸びるから、多分稼げるのは30分程度だろう。
似たような事は前に買いた日記「新社会人にあなたならまず何を教えるか? -8- Automation の種類 - 補助頭脳型」でも説明した。こちらは、乾燥機能付き全自動洗濯機の例だった。濡れたままの洗濯物は腐っていくが、乾かせば腐らない。洗濯機に乾燥機能がつく事で、あなたが洗濯物の demand に縛られる必要がなくなったわけだ。
off demand は機械化との相性がものすごく良い。大抵の制約は人間に起因しているので、人間じゃないものを使うと demand が消えることが良くあるのだ。ただし、機械の demand が発生することを忘れちゃいけない。ルンバの例だと、電気を沢山消費するようになるはずだ。
off demand を実現するために demand を分類しそれぞれの発生原因を考え始めると、実は Market Fundamentalism について考慮・実現方法を探っている事と同じだ、と言う事に気がつく。当たり前の話だ。
ルールというのは demand の一形態に過ぎない
偉い人が、下の人に自分の demand を押し付けるための形態がルール。けれど、その demand は実現するために常にコストがかかることを気にした方が良い。demand をルールにする前に、
そもそもなぜそんな demand が発生するのか
検討した方が良い
大抵のおかしな demand は、問題の設定が間違っていることにそもそもの原因がある。「自分では原因だと思っていること」が単なる症状に過ぎず、故に解決するべき問題を間違っているわけだ。症状をいくら隠そうとしても、根本原因は直っていないので、別の形で何度でも吹き出してくる。
「真の問題は何か?」
「それは誰にとっての問題か?」
という観点が曖昧だったり、定義がいい加減だったり、感情論でスタートしていたりすると、狂った demand が発生し続け、コストばかりかかって結果がでない、と言う状態が続く。このような無駄が内在していると、お金がいくらあっても足りなくなる。だから、まず最初に「ライト、ついてますか」を読んで、問題とは何か、を考えなおすことから始める必要がある。
そして、可能な限り demand を消す方向で、検討をした方が良い。demand がなくなれば、そもそも demand が満たされているかどうかを確認する必要がなくなる。つまりコストダウンに直結するのだ。demand が満たされていることを確認する人件費よりも、demandを消滅させるための機械化に掛けるコストのほうが、長期的に見て安い場合が多い。
効率のよい企業は、ルールは少ないものだ
off demand が進んだ会社では多くの物事が Market Fundamentalism に基づいて定義されている。つまり「放っておくと望む方向になる」ように設定されている。すると 管理職が少なくて済む という状態が生まれる。一人の管理職が面倒をみることが出来る部下の数が増えると言うことは、組織のピラミッド構造が深くならずに済むと言うことで…組織化に伴うオーバーヘッドが減るのだ。
off demand は他の方式と異なり、下っ端数 n がいくつになっても成立するが、ピラミッド構造がなくなるわけではない。Scalabilityという観点で見るならば、off demand は管理効率を向上させる数少ない…ほとんど唯一の手段だ。