2009年11月25日

新人じゃなくなった人は何を気にするべきか -2- Market fundamentalism

まずは Automation の1つ目。市場原理主義。Market Fundamentalism。

うん。普通は経済の用語だよね。だから Customer Satisfaction 側の説明じゃないのか? と疑問に思ったあなたは、おそらく市場原理主義をある程度理解している。が、理解が足りない。

Automation を理解するうえで最も重要なのは何か? Automation の究極奥義とは何か。それは

放っておいたらどうなるか知ること

だったりする。手に持っているボールを放す。すると重力に引かれて落ちる。まずこれを理解するからこそ、「ボールが落ちないようにするにはどうすればいいか」という発想が生まれる。物事を制御する、と言う考えが生まれる。で、常にそれを意識してやってなんぞいられないから、自動化する。

市場原理主義というのは、人間を放っておいたらどうなるか、そしてそれは何故か、を理解する上でとても重要な知恵だ。何故これが大事か? だってあなたは今、後輩を持ってるんですぜ? 部下を持ってるんですぜ? 組織の親玉として、組織全体がどう動くのかに責任を持ってるんですぜ?

こいつら、放っておいたらどこへ行く?

って知るのは大事じゃないかい? さらに、それが自分の目的と合致していたら? 難しく考えなくても、放っておくだけで目的が達成されるって事だよね?! いちいち、あーしろ、こーしろ、あーするな、こうするな、と指示しなくても自動的に目的が達成されるなら、これ以上楽なことはないじゃないか。

もちろん、世の中そんなに甘くなくて、一事が万事放任主義でどうにかなったりはしない。しかし、だからといってルールをガチガチに作って、社則で縛り上げたら目的が達成されるかと言うと、これまた間違い。



これを理解するには…そうだな。セキュリティが一番判りやすいだろう。USBメモリーについて考えてみようじゃないか。

昨今では、多くの人が理解していると思うが、USBメモリーと言うのは非常に危険なデバイスだ。基本的に不揮発性の記憶媒体だが、ものすごく小さくて持ち運びしやすい。故に、輸送したいデータなんかを入れて、思わず持ち運んでしまう。

しかし、そのようなデータの中にはお客様情報などの、プライバシーやら守秘義務やらに関連したデータがありえる。つーか、そういうものを運ぶ上でUSBメモリーというのは非常に便利な輸送デバイスだったりする。なにしろ、インターネットのような「どこ通ってるんだか判らなねー」ようなものを経由しない。容量も結構でかい。思わず使って、USBメモリーごと失くして、さぁ大変、ってな状態に陥る。

だから、大抵の大手会社は USBメモリーの利用を制限したり、持ち込み自体を制限したり、と言ったルールを使っているはずだ。

にも拘らず。USBメモリーを失くした、という失敗談が減りもしなければ無くなりもしない、と言うのも事実。USBメモリーを作っていた会社が、売れ行き不振で倒産したという話も聞かない。という事は、それだけ多くの人が、USBメモリーを 禁止された後も使っている って事だ。

ここでは、事の是非を議論したいわけではない。USBメモリーを禁止するべきじゃない、と言う話をしたいのでもない。議論したいのは、 何故、USBメモリーは使われ続けているのか? という事だ。禁止されているんだから、おそらく破ったら罰則があるはずだ。にも拘らず、使われ続けるのは何故?

別の事例を考えよう。仮に、USBメモリーを使っても良いとする。今あなたの手元に X というファイルがあるとしよう。
「Xのコピーを頂戴よ」
と私が言ったとしたら? 多分あなたは USBメモリーを取り出してそいつにXをコピーし、
「はい」
と言って渡してくれるだろう。私は USBメモリーを自分のPCに挿し、Xを取り出して、USBメモリーは返す。

じゃぁ、
「Xのコピーを、a, b, c, d, e, ... さん達に渡してあげてくれない?」
と頼んだら? あなたは USBメモリーを使うだろうか?? 多少は環境にも寄るだろうが(メールに添付できるファイルのサイズとかに上限があるかもしれない)、それら、コピーを渡さなくちゃいけない人たち全員を To か Cc に入れたメールに、添付ファイルとして X をつけて、一気に送るんじゃないだろうか?
間違っても USBメモリーを回覧したりはしないと思う。

はい、ここで質問。 最初のケースではUSBメモリーを使ったのに、2つ目のケースではUSBメモリーを使わなかったのは、何故?

最初のケースでは USBメモリーを使うのが最もコスト対効果がある、と判断されたから。2つ目のケースでは USBメモリーを使うよりもメールを使ったほうがコスト対効果が高い、と判断されたから。だから、1つ目のケースでは USB メモリーを使ったし、2つ目のケースでは USBメモリーを使わなかった。
同様に、セキュリティルールで禁止され、罰則まで規定されているのに USBメモリーを使う人が後を絶たないのは、罰則までをも含めてもなお、USBメモリーを使うほうがコスト対効果が高い、と判断されたからだ。

実は、ここには市場原理が働いている。USBメモリーはその市場原理に基づいて、ある条件下では採用され、別の条件下では採用されなかったのだ。禁則・罰則の導入はUSBメモリーを完全に排除できるほど、市場に対する影響力は無かったのだ。


後輩や部下の面倒を見る上で重要なのは、あなたの後輩や部下は、市場原理に基づいて動いている事を理解することだ。ルールや罰則は、ある程度は市場に影響を与えるが、完璧からは程遠い。そのことを理解しないで、ルール策定にまい進する偉い人が非常に多いが、そんなのは何の役にも立ちはしない。

市場原理主義 が Automation を考慮するうえで、第一番目に来る理由はここにある。

法律と罰則を持って人の行動を拘束すれば、良い世の中ができる、と信じた人たちがいる。法家といわれる人たちで、秦の始皇帝の時代の少し前、春秋戦国時代の百家のひとつだ。彼らは、悪しき行いを法で禁じ、法を破るものには厳罰をもって処す事にすれば、必ずや人々は法に従い、この世はすばらしいものになると信じた。今から2200-2300年ぐらい前の話だ。もちろん結果は大失敗

法を破る行為をするかしないか、逡巡している人がいるとしよう。法を破ると罰則以外のメリット、デメリット全部勘案して +10 の効果が得られるとする。法を破らないと 0 だ。もし、ここで罰則が -10 よりも大きくなかったら、どんな人でも毎回法を破ろうとするだろう。だから罰則は -10 かさらに厳しいのががふさわしい。じゃぁ、どれぐらい大きければいいのか?
まず、最初に考えなくてはいけないのは、罰則の適用は法を破ったときに必ず行われるわけではない、と言うこと。法を破ったことが発見されなくちゃいけない。たとえば10回に1回ばれるとするなら、「罰則を食らう期待値」が -10 を超えなくちゃいけないから、-100 かさらに厳しい必要がある。逆に、この値が厳しくても、法に反しない人たちにとっては何の影響もないはずだ。だから厳罰で構わない。法家の人たちはそう考えたわけだ。

しかし、実際にはこのようなルールを適用するとなると、ルールを理解しそれに基づいて人々を監視する者が必要になる。監視役が甘ければ発見確率は著しく小さくなり、どんな罰則を以ってしても法を守ることは割に合わなくなる。さらに、罰則を強化すると、
監視役が違法を見逃す代わりに賄賂を受け取る
という状態が始まった。ようするに役人の腐敗がスタートしたわけ。監視役を複雑に強化して相互監視させ、さらに秘密警察まで用意した国では、密告が横行し、さらに嘘の密告が横行しだして、さらに法の運営が崩壊してしまった。何のことは無い。罰則を強化したために Premium Cost と呼ばれるものが発生し、それが新たなる闇市場を作り出してしまったわけだ。

これは USBメモリの場合についてだっていえる。原則がUSBメモリーの利用禁止だったとしても、それを禁止しすぎたら仕事が動かなくなる。だから皆互いに見てみぬ振りをする。このような状態が横行すると、社則などによる禁止項目全体が運営の危機にさらされる。

さらに監視するためのコスト、と言う問題もあるのだけれど、それは、この次の Scalable Organization の所で言うことにしよう。

とにかく。厄介なのは、法で禁止して、厳罰を科せば、何かが実行されなくなると思ったら大間違いだ、と言うこと。罰則で何かがなくなることは無いし、単なる禁則は何であれ地下に潜らせる、と言うのが 自然な流れだ という事を理解しなくちゃいけない。

じゃぁ、打つ手無しなのか? そうじゃない。

USBメモリを使っているシーンと、使わなかったシーンをもう一度思い起こして欲しい。

一人に対してファイルを渡す場合は、USBメモリを使った。
多人数に対してファイルを渡す場合は、USBメモリを使わなかった。

何故?

多人数の場合は、USBメモリはオーバーヘッドがでかかったからだ。逆に言うと、
一人にファイルを渡す際にネットワークを使うのは、
オーバーヘッドが大きすぎる
という事だ。多分、100Mbpsぐらいしか出ない上に、共有ドライブのIO速度も遅いのだろう。

じゃあ。ネットワークが 10Gbpsぐらい出て、共有ドライブのIO速度が USBメモリの 10倍ぐらい早く、なにより容量が一人当たり Tbyte クラスだったら? USBメモリを取り出してPCに挿すほうが余程オーバーヘッドだわな。

ファイルのコピーを渡すのではなく、そのファイルを作成・管理している SubVersion Repository を教えるのならどうだろう?
SubVersion はファイルを保存するたびに、差分だけをサーバーに送りつける。このため、10Gbps などという、まだちょっと無理目な性能じゃなくても十分早く機能する。過去のバージョンを差分管理しているので、昔のバージョンまでも全部保持しているのに、全ファイルの合計サイズよりもはるかに小さい共有ディスク容量しか必要としない。10Gbps+Tbyteディスクよりは現実的な解だ。

そのような環境では、USBメモリが使われる可能性は大幅に減るはずだ。大幅に減る、という事はUSBメモリを持っている人自体少ない、という事を意味する。

このように環境を整備してから、
USBメモリを禁止したら
どうなるだろう?!

罰則をはるかに軽くしても、違反者はほとんど出ないはずだ。だって、使う価値の無いものを禁止されてるんだもの。「禁止されなくたって、使わないよ」と言う人がほとんどな状態で、禁則を犯す人はほとんどいない。だって、メリット無いもの。市場原理に従って、USBメモリ利用者はほとんど出ない

市場原理に従って、USBメモリを利用するものがいないのだから、USBメモリを利用していないかどうか、監視する必要もない。監視者がいないし、違反者も見つからないので、監視者の腐敗も起こらない。監視するためのコストも要らない。となると、環境を整備するためのコストは、実は十分おつりが来るぐらい安いのだ、と言うことも判る。



市場原理主義に立つと、「行政と司法の等価交換」と言われる行為が取れるようになります。

法というのは大抵目的を持って設置されるわけですが、その目的を満たすのには、「法律を作り罰則を作り司法を強化する」方法と、「環境を整備する」方法がある。どんなときでも司法と等価な行政が存在するわけではありませんが、存在する場合は、司法の代わりに行政をもって目的を達成する事ができるようになる。しかも、環境を整えさえすれば、自然と目的が達せられる

実は、市場原理主義を十分利用しないと、Scalable Organization という2つ目の Automation ルールに抵触する事になります。そして、これに抵触すると、あなたの会社は大赤字で倒産する危険性が出てくるのです。

…というわけで、次は Scalable Organization の話です。

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