「これ、機械で出来るんじゃないの?」
これが機械化の始まり。
機械化はかなり広い範囲で行われている。
ネジを素手ではなくねじ回しで回す、なんていうのも機械化の一種だ。あれは力をネジにいかに効率的に伝え、なおかつそのための機械が簡単に着脱出来るようにするか、かなり熟慮した結果できたものだ。ねじ回しを今度はモーターにつないで、あっという間にねじ込む、というのも機械化だ。機械化された作業を、さらに機械化して便利にしたもの。で、その電動式ねじ回しをロボットアームの先につけて、ビデオアイで位置決めして…とやっていくと、自動車工場とかで働いている組立ロボットになったりする。
そうやって作られた自動車も機械化だ。モノを移動させるのに抱えて運ぶとしんどいが台車にのせると楽になる。抱えて運ぶと荷重を支えるための力をずっと必要とするが、台車だと平地を移動する限り必要なのは初期速度を得るまでの力 + 摩擦分のロスを埋めるための力だけだ。その力の供給もエンジンからの力にしてしまえ、というのの究極の形の1つが自動車になる。
機械化にはいくつものメリットといくつかのデメリットが有る。まずさきにデメリットを。
- 機械に何をさせるのか、どうやってさせるのか、決めるまでが一苦労
人間なら「適当にやっておいて」で済む手順をいちいち考えなくちゃいけない。適当にネゴるとかそういう機能は機械にはない。
さらに、その手順を機械に実行させるためのメカニズムを考えなくちゃいけない。 - 機械を準備するのが、これまた一苦労
人間なら適当に人を雇って、「これこれこうやって」と言えば適当にやってくれる。完璧じゃないかもしれないが、十分役に立つレベルのものが出てくる。
機械だとそうは行かない。必要な機械を買ってくるなり組み立てるなりする。設置する場所に荷重制限があったり、十分平らじゃない、などの問題があったらそれも解決しなくちゃいけない。
さらに設置したからと言って100%うごくと言う保証はない。機械にトラブルはつきものなので、それを解決しなくちゃいけないし、解決出来る人を用意しなくちゃいけない - メンテナンス要員を用意しなくちゃいけない。
…これは人間でもマネージャーが必要だ、という意味においては似ているかもしれない。が、世話のかかり具合が桁違いだ。
- 人間と違って疲れを知らない。なので24時間365日動け、と言っても問題はない。
もちろん、実際には故障するかもしれないし、メンテナンスも必要なので、そういう動かし方はしてはいけないが。
この一種の応用として、人間には出来ない作業が出来る、というのもある。「人間には対応出来ないほど時間をかけて、ゆっくりと鍋をかき混ぜる」のような作業をさせることも出来るのだ。人間だと、どうしても「ちゃちゃっとかき混ぜてしばらく放置」を繰返すが、機械なら「ずーーーっとかき混ぜ続ける」事が出来る。
Webでいろいろなサービスを提供する、というのも基本的にはこのパターンだ。マシンを管理している人は24時間365日働いているわけじゃない。サービスを提供しているマシンが24時間365日働いているわけだ。 - 人間よりも高出力/低出力/高精度を必要とする作業も出来る
プレス機とかは端的にこの例だろう。強い力で一気に均等に金属に力を掛ける。金型を使って力のかかり方を制御してやると、切ったり、曲げたり、伸ばしたり出来る。一度に必要な力が少しでいい場合は、一度に複数のものを同時に作ることが出来る。
逆に人間の限界を超えて微妙な力加減で何かをなさなくてはいけない場合も、機械のほうが有利だ。というよりこちらも人間には出来ない仕事。
精密工作の中には人間の限界を超えるものもある。こういうのも結局は機械を経由させることで、人間の荒い行動を精緻な行動に変換してから伝達することで実装出来る。あ、逆のほうが判りやすいか。精緻な情報を、レンズなどを通じて拡大することで人間の目でも判るようにする、なんていうのも機械化の一種だ。
計算機なんかだと、人間の何億倍もの速度で計算できる。量を必要とする演算は人間は到底叶わない。というか、人間単体だとあまりにもアテにならないので、ソロバンが発明されたぐらい。 - 人間がやると健康に被害が出るような事も出来る
自動車の塗装なんかは、もうロボットに切り替わって久しい。あれは人間がやるとムラが出る上に健康被害もひどいから、ロボットにやらせるに限るわけ。
単純作業ほど機械化しやすい。そして機械化した場合、その機械の管理は決して単純作業では収まらない。
単純作業の大量の繰り返し
を
少量の複雑な管理作業
に置き換える、仕事の変換が行われた、と言い換えても良い。
よく比較優位貿易論とかで、「賃金の安い国に、単純作業が輸出される」とか言っているけれど、機械化を考慮に入れると事はそうそう簡単ではなくなる。準備に必要な時間やコストを吸収出来るなら、単純作業を輸出するよりも、機械化して国内でまかなった方が安い可能性があるのだ。
この辺をやらせたら天下一品なのが、岡野雅行さんだ。リチウムイオン電池のケースを絞りで作ってみせたり、とんでもなく細い注射針…無痛針を作ったりした人。
この人の場合、
- モノを作る機械を作り、それを運用してモノを作って出荷する
- モノを作る機械とそのノウハウを、他社に売る
だから岡野さんの所は5人の社員で回る。お金になってくれるもの自体は、社員が作っているのではなく、機械が作っているからだ。社員の仕事は、手法の確立と、機械の作成、管理。
岡野さんとは規模が桁違いで、やっているジャンルも全く違うが、実はやっていることは全く同じ、と言うのが Google。Googleも検索であれGmailであれ、サービスそのものは機械が行っている。Googleの社員がやっているのは、機械の管理と、その機械に何をやらせるか・どうやらせるかの開発、あとお金の管理。Googleと岡野さんの違いは、「機械に機械を管理させる」ための研究をやっているかどうか、ぐらいじゃなかろうか。だからGoogleのサービス規模、営業規模と、社員数は全く比例しない。
しかし、機械化もやはり限度がある。いや、機械に機械の面倒をみさせたとしても、やはり限度が来る。人間が人間を管理するのと同様、管理コストはO(n)よりも速い速度で上昇するのだ。末端のサービスを提供する機械の必要台数は、提供するサービス量 n に対して O(n) で必要になる。これらを管理するための機械を含めると、必要な機械の総量は O(n) よりも速い速度で膨れ上がっていく。
この観点で行くと、Google が他社を圧倒しているのは機械化の力であり、機械の労働力単価が世界中のどこに住んでいる人間の労働力単価よりも安いからだけれども、Googleといえども規模問題を回避したわけではない、と言うことが判る。
岡野雅行さんは経営方針として規模拡大をしない、としている。どちらかというと京都の老舗と同じ戦略だ。
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