2011年6月11日

リサイクルループに着目しよう

節電が叫ばれている。一般家庭も企業も15%ぐらいは節電して欲しいそうだ。

で、老人が「ペカペカ光るもの」は「電気を食うに違いない」とボケを垂れ流している。が、正直、それではたいして節電にならない。本当に電気を食うものってそんな所にはないからだ。

というか、「ペカペカと光る」とか「キンキンに冷える」とか、そういう擬音付きキーワードな代物は、別に昨日今日目の敵にされたわけじゃない。なのでアチラコチラに工夫がしてあって、実はかなり電力を食わないようになっているのだ。だからそんな所を今更攻めたって、たいして節電になどならぬ。

じゃぁ、どこにエネルギーは消費されているか?
エコロジーだともてはやされたもの。CO2削減にはこれ、ともてはやされたものにこそエネルギー消費は隠れている。
というわけでリサイクルを槍玉にあげてみよう。

リサイクルって言うのは「モノ」の形状を変えて、同じ物体をなんども変形させながら使い回しする、っていうのが基本発想だ。ペットボトルを粉砕して溶かしてもう一度ペットボトルにするとか。紙をパルプに戻して漂白してまた紙にするとか。「モノ」を無駄に破棄しない、と言う意味では素晴らしい。

でもちょっとまってくれ。そもそも、その「モノ」は何のために消費されているのだ? 我々は「ペットボトルを買いたい」わけじゃない。我々は「紙が欲しい」わけじゃない。
ペットボトルなら、その中にあるジュースが欲しいのだ。紙が欲しいのではなく、紙に印刷されている情報が欲しいのだったり、紙に包まれている中身が欲しかったりするのだ。まさに輸送のためのケースがペットボトルであり、紙なわけだ。だからこそリサイクル出来るぐらい損傷少なくペットボトルや紙を回収できる。

しかし、リサイクル・ループはエネルギー的に見れば決してただじゃない。輸送にはガソリンが、加工には電気が使われているはずだ。

じゃぁ、ペットボトルを使わない、紙を使わないで目的を達することは出来ないだろうか?
非炭酸系の飲み物をペットボトルから紙容器に切り替えるとか。
新聞を紙から電子版に変えるとか。

本来の目的からすれば別に欲しいわけじゃないモノを使わないようにする事で、リサイクル・ループを流れるモノの絶対量を減らす。しかも「本来の目的」は別にセーブしなくてよい事になる。


今回の節電は、目先の電力消費量を変えるのではなく、リサイクル・ループを流れる物流を減らしつつ、無駄にモノを廃棄しない、という形を取らないと苦しいと思う。目先のペカペカしたものを排除するような発想では、長期的に見ると必要なエネルギーが減らないままだ。