2010年3月20日

新人じゃなくなった人は何を気にするべきか -5- Communication

新社会人にあなたならまず何を教えるか -2- CS』 において説明したように、Customer Satisfaction は3つの要素から成り立っている。

CS = T × T × F

最初のTTechnology つまり 「技術力」
次のTTransfer/Translate つまり 「伝える力」
FFocus 「焦点」

この内、Technology についてはもう、ほぼ予測がついているのではないかと思う。商品に価値を加えるのも技術なら、商品を量産して不良品を出さないようにするのも技術だ。すべての作業を手作業で行うのではなく、一連の自動化された作業に変換するのも技術だ。これらによって、商品に付加価値を加える事、それも安定した品質で(商品ごとのばらつきを少なくした状態で)提供出来ることは、お客様に安心感を与える。

「これ…そっちのと同じに見えるけど、本当に同じかなぁ…」
「いや、普通は同じやろうけど、このメーカー、昔から信頼ないからなぁ…」
なんぞと評価されるようでは、顧客満足度は向上しないのだ。ここに Automation と、それを実装するための Technology の重要性がある。





さて、問題は二つ目の T … Transfer/Translate あるいは Communication だ。これはなぜ重要なのだろう?

Customer が商品を買ってくれる人だとして、Communication が大事な理由は?
Customer が材料を売ってくれる人だとして Communication が大事な理由は?
そして Customer が社員だとして、Communication が大事な理由は何だろう?
なぜ Communication を重視すると顧客満足度は向上するのだろうか?

限定合理性を解決するため

実はこれだけで説明がつく。うん、判ってる。問題を「限定合理性」にすり替えただけだよね。まぁ、でもご想像の通り、ここから先は限定合理性の話になる。この限定合理性というのはこの次の Announcement でも重要なので

早速だが本を一冊紹介。この本はすごく簡単に言うと
第二次世界大戦で日本軍が行った数々の
どう考えても負けるだろ、それは
的な戦略的失敗は、従来は非合理性によって説明されていたが、実は限定合理性で説明すると論理的に説明出来る上に、他の組織の失敗についてもに多様なことがあるんじゃないかぁ?と言うことまで判る。
と言う話。太平洋戦争の日本軍には限定合理性から来る失敗が全てあります、と言わんばかりの勢い。いや、たぶん本当に全部あるんじゃないかと…。
限定合理性の話が判ると、組織運営においてどういう落とし穴があり得るのか、特に参加者全員が善意から参加していたり非常に頭が良かったりしても、組織全体としてはうまく回らないことがなぜ起こるのか、よく判ります。たぶん、以下に述べる私の説明よりも。

とまぁ、逃げを打つのはこれぐらいにしておいて :p

仮に神様であれば、何かを判断する際に次のような前提を立てても大丈夫でしょう。
  • 判断をくだすために必要な情報がどんなに膨大でも、取得コストは0である
  • 判断をくだすために必要な情報がどんなに膨大でも、それを保持・参照するコストは0である(つまり時間をかけずにそれらを検討対象に加えることが出来る)
  • 判断をくだすために必要な計算量・演算量がどんなに膨大でも、必要な時間は0で計算が終了する
  • 判断をくだすために必要な情報が何なのか、わからなくなるなどと言うことは絶対にない(判断に必要な情報が何かを把握する、というコスト自体が0である)
あ、ここでいう「コスト」は、時間がかかるとか、お金がかかるとか、何かの作業をするために別のことを諦めなくちゃいけなくなるとか、そういったもの全てをさします。単にお金だけの話ではありません。

さて、人間は神様ではありません。ですから上記のような仮定は取れません。しかし、だからといって全ての判断がサイコロを振っているのと同じ、と言うほど非合理的でも無い。そこで、
人間は限定合理的である
と仮定し、その場合に様々なことが説明できないか?というアプローチがあります。経済学では 新制度派経済学 ( new institutional economics ) というのがそれだそうです。で、このアプローチで見て行った場合に、個々人の挙動について、(少なくとも)次の3つの理論が成り立つことがわかっています。
  1. 取引コスト理論
  2. エージェンシー理論
  3. 所有権理論
これらは全て、
  • 判断をくだすために必要な情報を取得するにはコストがかかる
  • 判断をくだすために必要な情報がを保持・参照するにはコストがかかる
  • 判断をくだすために必要な計算量・演算量に応じてコストがかかる
  • 判断をくだすために必要な情報が何なのか、わからなくなる事があり、それを解決するにはコストがかかる
という4つのコストの存在から出発しています。これらのコストが存在するのに、経済効果を最大化しようとすると…つまり欲の皮を突っ張らかせると、起こる現象に関する説明です。


次からは順に内容の説明と、それが Customer とのコミュニケーションにおいてどう大切なのか、見ていきましょう。あ、Customer は先に定義したCustomer の方ね。

2010年3月6日

新人じゃなくなった人は何を気にするべきか -4- Who is Customer

さて、Automation 関連の話が終わったので、次は CS … Customer Satisfaction に関連する話だ。
ここで最も重要なのは…実は次の2点:
  • Customer って誰?
  • Satisfy ってどういう状態??
…ちょっ、今更何言いますのん

そう言うなかれ。新人の頃は上司なり先輩なりが「この方がお客様だ」「お客様に納得、満足していただくのが我々の仕事だ。そのためには…」と Customer も Satisfy も明示してくれた。新人はこれらのことを意識する必要はあったが、Customer の定義は何かとか、 Satisfaction の定義は何かとか、考える必要はなかったのだ。
しかし、今やあなたがその上司なり先輩なり。部長なり、常務なり、専務なり、社長なり。Customer の定義をするのはあなたなのだ。だからこういう問題の本質から考えなくちゃいけない。そして、問題の本質を考えると、あなたがとんでもない勘違いをしていたことに気がつくわけだ。

まずは最初の問題からいこう。
あなたのお客様は誰ですか?
「お金を払って商品を買ってくれる人の事でしょう?」
うん。新人の時にはそう習ったね。それはあなたのお客様の一部ではある。でも全部じゃない。

実はお客様って言うのは、
あなた以外全員
つまり
あなたの扱っている商品を買ってくれる人
原材料を買い付ける先
事務所を貸してくれるビルオーナー
清掃サービスを提供してくれる清掃会社
そしてもちろん
御社の社員
あなたの部下

これらは皆、あなたのお客様だ。これは経済学の定義から自動的にそうなる。
これを理解するためには、物々交換まで話を戻して基本を理解してもらわなくちゃいけない。テーマは「商売成立ってなに?」

いま、AさんとBさんがいます。
Aさんは、今日カレーを食べたかったのでカレーの材料を集めたのですが、人参が足りません。人参3本ほど欲しいのです。が、彼は大根を一本持っています。
Bさんは、今日おでんが食べたかったのでおでんの材料を集めたのですが、大根が手に入りません。大根1本欲しいのです。が、彼は人参を3本持っています。
この状態でAさんとBさんが出会いました。

AさんはBさんが持っている人参3本が欲しい。つまり Aさんにとっての価値はこうなります:
大根 <(価値) 人参3本
BさんはAさんが持っている大根が欲しい。つまり Bさんにとっての価値はこうなります:
大根 >(価値) 人参3本
ここで、AさんとBさんが大根と人参3本を交換すると、ふたりとも自分が持っているものの価値が高まります。そこで、AさんとBさんは大根と人参3本を交換します。
大根 =(価格) 人参3本
二人とも食べたいものが食べられてまんぞくまんぞく…

おおっと、待ちねぇ。今、私はものすごく大事なことを言った。それも2つ。

一つ目: 価値は個人のもの。価格は取引時に発生するもの。
この2つは全然別のものである。
二人の価値観に違いが出るときに、商売は発生する。
二つ目: 商売は等価格交換

一部の人に取っては「何を当たり前な」と言うかもしれないが、実はこれがものすごく重要。Aさんにとっての大根と人参の相対価値は、Bさんのそれとは逆転していた。と言うことは、
価値っていうのは、個人個人が持っているもの
私とあなたで共通化することはありえないもの
なのだ。たとえば、仮にここにCさんがいて、Cさんもおでんが食べたいとする。で、Cさんも大根を持っている(他の材料も揃っている)。さて。BさんとCさんが出会った。物々交換は起こるだろうか?
起こる訳ないよな
Cさんが大根をBさんにあげたら、Cさんはおでんが作れなくなって、代わりに人参が余る。BさんにとってもCさんにとっても大根は同じように大事で、人参は同じように不要なもの。この場合は物々交換は起こらないのだ。
価値に違いがある
だから取引が発生する
これが商売における重要なポイントの一つ目。
あなたと取引をしてくれる人が
あなたのお客様
これは、直感的に問題ないと思う。単にそう定義しているだけだし。
あなたのお客様は、
あなたとは違う価値観の持ち主
これは忘れちゃいけない事実。

さて。物々交換が起こった。このとき、AさんとBさんは何をしたんだろう? AさんとBさんは人参3本と大根を交換した。どちらもそれ以上何も求めなかった。この場合、この交換においては人参3本と大根は同価格と呼ぶ。つまりAさんは大根1本を提供すれば人参3本を得られると考えた。Bさんは人参3本を提供すれば大根1本を得られると考えた。この意味において「人参3本」と「大根」は互換性があるわけだ。本当は価格ってのは貨幣が出てこないと成立しないんだけど、その順序だと議論が面倒になるので物々交換のレベルから価格があると考えてくれ。
大根とか人参は日持ちがしない。そこで交換の仲介としてもっと日持ちのする、価値の変動の少ないものを考えた。これが貨幣。同じ量の貨幣で入手出来るものが「同じ価格」。同じ価格のものでも、貨幣で持っている方が価値が高いのか、物で持っている方が価値が高いのかは、一人ひとり条件が違うので同じ結論にならない。これが市場経済が成り立つ理由だ。

さて。

以上の話を聞いた段階で、「お客様」が意外と幅広い存在だと言うのは判ったと思う。
あなたの会社の商品を買ってくれる人というのは、「あなたの会社の商品」の方が「自分が持っている貨幣」よりも価値があると思ってくれたわけだ。一方であなたの会社は「商品よりも売値分の貨幣の方が価値がある」と思った。だから商売が成立した。よって、商品を買ってくれた人はあなたのお客様だ。
会社が商品の材料を仕入れるためには、材料を持っている人から材料を買わなくちゃいけない。材料を持っている人は、その「材料」よりも「材料の売値分の貨幣」の方が価値があると思った。会社はその材料を使って商品を作れば高い値段で売れると思った。つまり「材料」の方が「材料の売値分の貨幣」よりも価値があると思った。だから商売が成立した。よって、材料を売ってくれた人はあなたのお客様だ。
会社が自分の社員に会社の清掃をさせるよりも、あるいは清掃を一切せずに汚れるに任せるよりも、清掃会社に清掃サービスをお願いした方がよい、と考えたなら、清掃会社は会社に取ってお客様だ。おそらく社員を清掃に使うコストよりも清掃会社のお値段のほうが安いのだろう。また、清掃しないことで起こる、社員の健康状態の悪化やモチベーションの低下による被害よりも、清掃会社のお値段の方が安いのだろう。結果、会社は「貨幣」と「清掃サービス」を交換した。清掃会社はこの会社から見てお客様だ。

同じことが社員と会社の間にも言える。社員は労働力を提供する。力仕事だったり、知恵や知識だったり、お客様と対面する際の印象の良さだったり、いろいろだろうがそういうもの全部をひっくるめて「労働力」とする。この労働力を提供する代わりに、給料として貨幣をもらう。
社員であるあなたは、自分の労働力を温存するよりも給料として貨幣をもらう方が価値がある、と思ったのだ。会社は、貨幣を維持するよりも社員に労働力を提供してもらう方が価値がある、と思ったのだ。結果として、ここに「労働力」と「給料」の等価格交換が発生したわけ。

さて。等価格交換が成立したのはよいが…考えてみて欲しい。

あなたが会社の購買だったとしよう。材料を買う係だ。同じ材料なら、少しでも安く買った方が良くないかね? しかし、値切りすぎると提供される材料の品質が下がるはずだ。値切った分のコストはどこかで回収しなくちゃいけない。それは材料を採掘・加工するコストに転嫁されるはずで、と言うことは品質の悪化となって現れるはずだ。だから、値切りすぎちゃいけない。
同じことが会社と社員の間についても言える。同じだけ労働力を提供してもらえるなら、少しでも安く提供してもらう方が良くないかね? でも、給料を下げると社員のモチベーションも下がる。その給料で満足出来る社員のレベルも低い。結果として提供される労働力は下がってしまう。
逆に給料を上げたら? 給料を2倍にしても提供される労働力は2倍にはなるとは限らない。2倍の時間働いたら疲労が蓄積して、間違いが増える。だから、値切りすぎちゃいけない。

社長をはじめとする管理職の仕事と言うのは、社員のモチベーションを上げたり、働く環境を整えたり、あるいは社員にやらせる労働内容をコントロールすることで、同じ金額の給料でより多くの労働力を引き出すことにある。つまり、彼らはあなたの労働力を値切るのがお仕事なのだ。しかし提供される労働力が下がるほど値切りすぎてはいけない。

もちろん、トータルの労働力を値切るのが仕事なのであって、給料を減らすのが仕事なわけではない。
たとえば、今よりも性能のよいPCを提供すると、同じ7時間30分の労働でより多くの仕事がこなす事ができ、結果として投資したコスト以上に成果が得られるのならば、より多くの労働力をほんの少しの追加投資で引き出せたことになる。
よりよい広告を打つことでより多く、より正確な見込み客からの反応が得られるようになれば、営業職の社員の成約率は向上するし、同じ期間での成約量も増大する。これもより多くの労働力を同じ給料で引き出せた成果、と言うことが出来る。

社員はお客様
とは、そういう意味だ。

さて、2つ目の問題。

Satisfy とはどういう状態か

取引が成立した直後の「価値」の状態をお客様側から見てみよう。

「商品」 >(価値) 「払った金額」 ....... (1)

商品のほうがその商品のために払った金額よりも価値がある、という評価状態のはずだ。
問題は、お客様は常に自分の中の価値を再評価できるので、(1)の式は永久にこのままである保証はない、と言う点にある。商品を購入してみたら思ったようなものではなかった、失望した、と言う場合、商品の評価はすぐこのように変化するだろう:
「商品」 <(価値) 「払った金額」
簡単に言えば「金返せ~」という状態。この状態に陥ると、お客様は「騙された」と感じ、あなたと(あるいはあなたの会社と)の取引を今後も繰り返したいとは思わなくなる。


ここまでは『新社会人にあなたなら何を教えるか -2- CS』に書いた内容に非常に近い。ようするに
お客様がリピーターになってくれる状態
が Satisfy な状態だ。しかし、「お客様」の定義が変わったので、この状態になるとはどういう事なのか? も意味が変わってくる。

優れた労働力を提供してくれた社員がいるとしよう。この状態でお客様…つまりはこの社員…がリピーターになるとはどういう事か?身も蓋もない言い方をするなら
転職しないと言うことだ
優れた社員が会社を去ると、社員から得られる労働力が大幅に下がる。そうならないためには、
この会社で働いてよかったという満足感
を与えなくてはいけない。しかし、満足感と言うのは複数の要因が絡みあって成り立つものだ。給料が安すぎず、労働環境が悪すぎず、仕事の内容が退屈するような内容でも失敗するほど困難な内容でも無い。社員ひとりひとりごとにバランスポイントは違う。さらに人は成長するものなので、今の時点でのバランスポイントは将来のバランスポイントとは違う。

逆にこの条件を満たすことが出来ると、仮に何らかの理由でこの社員が退職する必要が出たとしても、再び就職する際にまた戻ってきてくれる可能性が出る。優れた社員が戻ってくるのは会社に取って大きな利得になる。
あるいは退職した後もその会社のファンで居続けるならば、何らかの商取引の際に心因的に優遇してくれる事もあるだろう。同じものを同じ条件で提供するならサイコロを振るのではなく御社で、と言う奴だ。

リピーターになると言うことを別の方向から観てみよう。同じ相手との商売を繰り返すと、繰り返し囚人のジレンマ 状態になる。つまり詐欺などの行為は行えない。商売を繰り返すことによるメリットが、詐欺などで一時的に得られるメリットを上回るからだ。
詐欺などの被害による潜在的被害を小さくしたいならば、お客様がリピーターになるように仕向ける必要がある。

もし、あなたの会社が社員の定着率が低い(外部から社員をやとってもすぐ辞めてしまう)としよう。この場合、社内のどこかで 繰り返し囚人のジレンマ 状態が崩れていることを意味する。つまり、優れた労働力を提供するものが適切に評価、処遇されていない(必要なリソースや自由、予算などが与えられていない)ために、社員定着率が悪化している、と言うことだ。大抵の場合、経営陣のどこかに、経営陣たる資格の無い奴がいる。
こうなると、社内での繰り返し囚人のジレンマ 状態が崩れているので、社外のお客様に対して提供されているはずの製品品質も保持できなくなっているはずだ。結果としてお客様もリピート率が低くなる。この状態を無理矢理何とかしようとすると、材料を買う際に値切りすぎる、などさらに状態が悪化する。

一見これらは全部違う現象のように見えるが、
お客様が満足していない
という意味では全く同じなのだ。
お客様が満足していないという状態は連鎖する
のだ。最悪、会社が潰れてしまうほどに。


お客様の定義と Satisfy の定義がそれぞれ何で、どうしてそれが大事なのか、についてはこれぐらいにしよう。次は Communication の話だ。