ペリーが日本に来て、強制的に開国を迫って以来、日本の戦略は一貫して
西洋に脅されない日本を作る
だった。そのために、西洋に匹敵する軍事力を持つ必要がある。軍事力を支える技術力と資金力が必要になる。そこで富国強兵というキーワードでまい進してきた。これは第2次世界大戦後も本質的には変わっていない。軍事力は所持できなくなったが、その分を金の力でやろうとしているのに過ぎない。そして、そのために
技術立国
というキーワードが使われてきた。おそらく、今30代以上の年齢の人たちは小学校のときに、次のように教わったのではないだろうか?
「日本には資源がありません。ですので、外国から資源を買い、それを加工して付加価値をつけて外国に売る、という形でお金をもうけ、そのお金で日本で暮らしていく上で必要な食料などを買う必要があるのです」
これはある意味正しいし、このような商売をするためには、優秀な加工技術が低価格で供給される必要があった。日本の義務教育システムは、このような人間を作るのにもってこいのシステムだったわけだ。
しかし、1ドルが360円で初任給が10万円の時代(大雑把に言うと年俸3000ドルの時代)ならば十分太刀打ちできていたかもしれないが、今は1ドルが100円で、初任給は 25万円(大雑把に年俸30000ドル)が日本の水準だ。決して「安い労働力」とはいえない。
一方で、中国には 13億人、インドには10億人、アフリカその他をあわせると35億人の「潜在的労働者」が世界中には存在する。これらの労働市場には「1ヶ月1万円で満足する基本技術労働者」を20億人規模で、20年間供給し続ける能力がある。これらの国々では食料の自給率が高いため、このような賃金でも食べていけるわけだ(日本でこのようなことは実質不可能である)。
技術力の大きな部分を占めているのが、反復訓練による技能向上である。低賃金で労働力を供給できる国に、工業的技術力は絶対移動していく。『高度な技術力』を持つ工員を一人作るには100人規模の工員が同じ仕事をし、99人が敗退していく必要があるので、日本でこのような技術者を育成し続ける事は(国策などで大赤字を大前提にでもしない限り)不可能だろう。
つまり何を言っているかと言うと、向こう20年間の内に、日本から技術力は消え去る、と言う事だ。1億の人間が食っていく戦略として技術立国はもう成り立たない。
では何で食っていくか。
その候補の一つが Leadership なのだ。日本には「今は」技術力がある。その技術力を海外の安い労働力に移転し、その過程で彼らの Leader として入り込み、彼らに高い付加価値を作ってもらい、その「上前」で食べていく、と言う事だ。もう少しシビアな表現をするなら、
Leader立国としての日本ぐらいしか
この国が食べていくための方策は残っていない
この国が食べていくための方策は残っていない
他の産業は、よほどの才能を必要とするか、価格競争に曝されているか、地理的に狭い領域を相手にしているため「海外からの資源の輸入」という観点からは役に立たないか、どれかになってしまうのだ。
このためには Leadership を持った人材を多く育成する必要がある。
「あぁ、学校教育で Leadership を教えればいいじゃん」
…あいにくとそうは問屋がおろさないのだ。
0 件のコメント:
コメントを投稿