2010年7月10日

新人じゃなくなった人は何を気にするべきか -7- I18N/L10N

I18N: Internationalization (国際化)
L10N: Localization (地域化)

グローバライゼーション(Globalization/G11N) が叫ばれて久しい。世界は平らだとかいう本も出てるよね。
でも、本当にそうなんだろうか? 日本の市場と、韓国の市場と、アメリカの市場と、ポルトガルの市場と、ロシアの市場と、南アフリカの市場は同じ性質を持っていて、単にお金持ち度が違うだけなんだろうか?
言葉の違いもある。うん、それもあるよね。でもそれだけ? もっと根本的に 同じに扱っちゃ駄目 なポイントがあったりしないだろうか。

「もちろんあるとも。それについて書かれた本も」

そう。国や地方ごとに条件は違う。食生活が違うのに冷蔵庫に求める機能が同じなわけがない。

例えば日本とアメリカでは、製品に対する品質要求がぜんぜん違う。
アメリカでは、製品が壊れるのは大きな問題ではない。製品が壊れたときに直せないのが問題だ。ものを買った場所から自宅までの距離は、時には車で2時間以上もかかる(それも100miles/hour=161km/hourで)。壊れたときに修理にだしてから直って帰ってくるまでの時間も長いし、その間の代替物がない事が問題だ。だから、壊れたことそのものよりも、すぐ直せないことを問題視する。自分で直せるなら、あるいはリセットボタンを押せばそれで済むなら、問題ではないのだ。
逆に日本では、製品が壊れることを問題視する。
一つには大昔、アメリカで「日本製」が「安かろう=悪かろう」の代名詞としてさんざん叩かれた頃のトラウマが未だに残っている事があげられる。日本製品を日本に送り返して直していたのでは、数日では直らない。かといって日本製品を普通のアメリカ人が大雑把に叩けば、トドメを刺すだけだ。だから、日本製の壊れる = それっきりを意味したのだ。だから壊れるのは悪。
もうひとつは、日本という国の地理的な条件がある。日本は古典的に「街の電気屋さん」のように住んでいる場所に密着した形で小売店が存在する。何かが故障した場合、修理はもちろん、取替え、修理から返ってくるまでの間のスペアの手配等、全てこの「密着した小売店」が何とかしてくれる。だから、修理して再び使えるようになるのは当たり前。ただし、この「密着した小売店」がサポートのために支払わなくてはいけないコストがバカにならない。小さなエリアで小規模でしか売れないのに、売った後に高いコストを払わされるのではたまったものではない。だから壊れちゃいけない。

だから、大きく見ると世界中どこでも売れるように感じる商品も、その地域に持って行ってみるとニーズが微妙に違う。それぞれに合わせた作り込みをしないと、その地域で同じようなものを作り、売っているメーカーに勝てない。すると、グローバライゼーションはコストがかかるばかりで、全然売上に貢献してくれない。ゲマワットさんの本には「商品の売上はHQからの距離に反比例する」例をあげているぐらいだ。

でも、全部が全部そうじゃない。例えば Intel の CPU。世界中どこに行っても同じものだよね。アフリカ版と日本版とアメリカ版で消費電力が違ったり、演算能力が違ったりはしない。こういうパーツ…とくにすでにデファクト・スタンダード化が済んでいる製品は世界中どこへ行っても同じだ。
でもデスクトップPCになると日本やアジアでは小さめのデスクトップの売れ行きが良い。アメリカではタワーと呼ばれるデカいやつの方が売れてる。ノートPCも、アジアではキーの小さい奴が売れるが、アメリカではキーの小さい奴はあまり売れない。ところが、たまに例外もあって、ネットブックはどこでも売れた。ただし、OSはアメリカだとLinuxでよかったのが、日本では Windows を入れなくちゃいけなかった。

この違いはどこから来るんだろう? どうやって回避すればいいんだろう?
多分、同じことは「地方」単位でもあるはずだ。北海道と沖縄ではニーズが違うだろう。愛媛と新潟も違うはずだ。山形と東京だって違うだろう。逆に東京と神奈川、千葉辺りはニーズが似ているに違いない。
アイダホ州とニューヨーク州は違うニーズを持っているだろう。ニュージャージー州とカリフォルニア州も違うに違いない。ニューメキシコ州のように暑い所と、アラスカ州のように寒いところも違う。
どうやってそれぞれに合わせればいい? それには何を気にしてデザインすればいい??



Customer Satisfaction に関する最後の項目は I18N/L10N だ。
ただし、ここでいう I18N/L10N は単に「国単位」とか「文化単位」に限定しない。究極的には「個人単位」とか「購買する度」で微妙に変化するニーズや、それに対応する事を意識する、という話。
これは Focus の話だ。ただし、Focus は「一人のお客様に対して」の話だった。

これが Focus の話と判れば、 同じ と分類されるものであっても、世界中の地域ごとにエンドユーザーのニーズは微妙に異なることも判るだろう。このため、完全に1種類だけの製品を作って、それを世界中に販売展開すれば全顧客のニーズを満足できる…とした Globalization は幻想に過ぎない。

この問題を回避する最終的な戦略はただ1つ。Internationalization (I18N) / Localization (L10N) を組み合わせる以外、手はない。ようするに製品の大枠を I18N で定め、最終的な地域単位/顧客単位でのチューニングを L10N で行う。
  • L10Nの範囲が本当の意味で「地域」なのか、「個別顧客」なのか?
  • どれぐらいをI18Nで共通化し、どのぐらいを L10N で個別対応にするのか?
  • どこを I18Nで共通化するのか? (部品なのか、材料なのか、それとも加工技術/ノウハウ/職人の技と言われるものなのか?) どこを L10Nにするのか? (組み立てた製品なのか、皮から切りだして製品を作る部分なのか、オーダーメイドなのか)
これらを組み合わせ、コスト/商品価格と顧客満足のバランスするポイントを見つける。これは Focus がどこにあったお客様がどれぐらいの数 存在するのか、という問題だ。Focus の逆問題だね。



I18Nの部分を大きく取り、L10Nの部分を小さく取る。部品以上のものを提供しない。世界中で同じものを売る…という戦略で成功している好例が Intel の CPU x86 シリーズだろう。世界中どこでも同じ製品しか供給しないが、それが許されるのは「部品」だからだ。国ごとに好みの色をパッケージングに塗る、なんぞというサービスは一切しない。そのようなエンドユーザーの好みに合わせたチューニングは、CPUを利用した製品を作る側の自由であり、チューニングに伴うリスクテイクも、それによる利益幅の増大も、CPUを使って最終製品を作る側の問題だ。Intelはあくまでも部品を提供する所に留まることで、スケールメリットを得る。

逆に I18N の部分はほぼ外部から部品を買取り、L10Nだけで勝負する方法もある。これはサービス業の多くがそうだ。オーダーメイドのスーツを売る店は、布地まで自前で作ったりはしない。あくまでもそれをどう裁断するか、どう縫い合わせるかを、顧客のニーズ単位で実装することで高い満足を売っている。
喫茶店もそうだな。顧客の細かい要求(もしあれば、だが)に答えたものを提供し、時間と空間を提供することで、高い満足を売っている。同じようなパターンに床屋も入れられるだろう。

L10Nが高いものは、地域密着性が高い。たとえばあなたが東京都に住んでいるとして、沖縄の床屋が1000円だとしてもわざわざ髪を切りに沖縄に行く人はそうそう多くはないだろう。でもQBハウスのように1000円でカットしてくれる床屋ならば行くかもしれない。移動コストのようにサービスを受けるまでの潜在コストが高い場合、市場サイズがグローバルにならない。その場合、その狭い地域にチューンしたサービスが競争基準になる。時にはそれがとんでもないガラパゴスなサービスへと進化してしまう場合もある。


別の言い方をしよう。もしあなたが売れる商品を作りたいと思ったら、世界中向けには「部品」を作るのがよい、ということだ。例えば冷蔵庫について考えているなら、ヒートポンプとか断熱材とか。で、各地域でその部品を組み立てて、その地域のニーズに合致した冷蔵庫に仕立て上げる。

「部品」と言うと語弊があるかもしれないな。たとえば車。車は世界中どこへ売る場合でも「ほとんど」違わない。ただし、右ハンドル・左ハンドルのようにオプションが変更できる。販売国の法律に合わせてハンドルをどちら側につけるのかはカスタマイズ可能なわけだ。この場合 L10N のために部品を交換しているだけで車としてはほとんど完成品なのだが、こういう場合も「部品」と考えよう。
実際、車は想像以上に多くのカスタマイズポイントを持っている。例えばウィンドウウォッシャー液。日本ではウォッシャー液のメーターなんか運転席についてない。ところがアメリカにはある。日本は法定点検がやかましいので、定期的に販売店や車検屋にチェックをお願いする。するとウォッシャー液とかはちゃんと補充してくれる。アメリカはそんなものはないので「空になったらユーザーが補充する」事になる。が、ウォッシャー液なんてめったに気にしない。このため、運転席にはウォッシャー液のメーターがあるのだ。


例えば…そうだな。Storageとか。この場合国によって何が監視できるべきか、どうなったらどう報告するべきか、違う。例えばアメリカで多いのは、HDD を Active の他にスペア Standby を用意して、Standby に切り替わったら、その次の定例メンテナンスの時に新しくパーツを補充する。
しかし日本だと
「Standby がもうないぞ、どうしてくれるんだ、早くパーツを補充しろ、壊れた原因をさぐれっ」
と大騒ぎになる。いや、HDDは壊れるもんですってば。こういう客が多いので、日本の場合は、Active/Standby/Standby 構成にするのがよい。で、Active が壊れたら Standby1号 に切り替える。で次の定例でパーツ補充するが、Standby2号がまだいるのでお客様も騒がない、と言うわけ。こういう多重 Standby ができる構造にできるよう、柔軟なカスタマイズが出来るようにできるべきなのだ。I18Nの段階ではこのように、国ごとのお客様特徴に適用できるようにカスタマイズしやすく作っておく。で、各国で L10N を施すときに、きっちり作り込む。

こう考えると判るだろうが、I18N 用の開発部隊の他に、L10N 用の開発部隊を各国に用意するべきなのだ…いや、「国」単位じゃなく「文化」単位で構わないが。逆に言うと「文化」単位での開発部隊を持たないメーカーというのは I18N ではなく G11N と称して、どこか一国(たいていはアメリカとかヨーロッパ)にチューンしてしまっているため、他の国に売るのはいいがその後、その国のサポート部隊が悲鳴をあげることになる。こういうメーカーやベンダーの製品は避けたほうが無難だ。


「上質」と「手軽さ」という分類の仕方もある。これはケビン・メイニーが「トレードオフ」という本の中で紹介している分類の仕方だ。



上質であるとは、お客様一人ひとりに対するチューニングのレベルが高く、快適さが高い。値段も高いがそれでもこの商品を選ぶ、という事自体が一種のステータスにつながる(「トレードオフ」ではこれを「オーラ」と呼んでいる。ブランド力の一種だ)。L10Nの割合が高く、その分お客様ひとりひとりのニーズにきっちり合わせることができる。
この場合 L10N として提供している商品そのものが、買ったお客様のキャラクター(なにに強いのか)を宣伝している。技術力が高い(iPadとか iPhoneとか)、選美眼が高い(ティファニー)、品質に拘る(グッチ)…そしてもちろん、これらに共通して「金持ち」というのもある。お客様はそれらを使うことで、自分のアイデンティティを宣伝しても居るわけだ。

一方手軽であるとは、お客様ひとりひとりに対するチューニングは殆ど行わない。商品がお客様に合わせるのではない。お客様が商品に合わせるのだ。あるいは、「商品をお客様に合わせるための商品」というものが別にあって、値段が高いほど利便性が高くなる。しかし、その商品が提供する機能は便利すぎて、それがなかった世界など考えられない。電子レンジ、冷蔵庫、ガスコンロ、室内照明、携帯電話、鍋、テレビ、ラジオ、インターネット、Windows、マクドナルド…どれ一つとしてあなたのために造られ、あなた用にチューンされたものは存在しないが、これらなしの生活はもはや考えられない。
このような商品は I18N の部分がその商品の性質のほとんどを決定する。L10N の部分…電源を100Vにするか120Vにするか220Vに対応させるか…表示する文字を日本語にするか英語にするか韓国語にするか…などの部分は確かに違いとして存在するし、そこに掛かっているコストは決して安くはないかもしれないが、そこに高い付加価値を見出してくれるお客様はほとんどいない。Windows7 の英語版と日本語版では明らかに日本語版の方がメッセージ等の翻訳コストがかかっているが、だからといって日本語版の方が20%高い値段で売っている…などとなったら、日本の顧客は買ってくれないだろう。これは、Windows7が「手軽さ」を…ひいては「どこにでもある」事を目標として作られた商品であることを示している。ビル・ゲイツが立てた Microsoft の目標「PC everywhere, MS product everywhere」は変わっていないのだ。

ケビン・メイニーによると、「上質」と「手軽さ」は相反する性質を持つという。「上質」という性質は「選民性をもつ」という意味でもある。「手軽さ」は「選民性を持たない」という意味だ。誰でも手に入れられるものは、それを使っていても「使っている人のアイデンティティ」など宣伝してくれない。故に「手軽さ」と「上質さ」を同時に目指そうとするとどちらつかずになり、「上質」を選ぶ人からは捨てられ、「手軽さ」を選ぶ人からは「高すぎる」とそっぽを向かれる。スターバックスがまさにその状態に陥った。ティファニーもそれに近い状態に陥り、慌てて戦略を変更している(だからティファニーのネックレスを持っているティーンエイジャーはもういないでしょう?)。
しかし、多くの企業がここを間違える。それは(AOL元副社長の)テッド・レオンシスが表現したように、「上質」と「手軽さ」を「愛される」と「必要とされる」のように表現を置き換えて理解してしまうからだ。確かに「上質」なものは「愛される」と表現するしか無いぐらい、お客様から多くのリソースを投資してもらえる。「手軽」なものは「必要とされる」と表現するしか無いぐらい、誰も彼もが入手する。しかし、「愛されて・必要とされる」という表現だと存在し得るように聞こえる商品は、実際には「上質でもなく、手軽でもない」というどっちつかずに成り下がる。

だから「上質」を選ぶなら「上質を突き詰める」べきだ、とケビン・メイニーは言う。逆に「手軽さ」を選ぶなら、「手軽さを突き詰める」べきだと。そのどちらかを行えば、ライバルを遥か彼方に引き離すことができ、その市場を席巻することができる。

逆に、市場が「上質」か「手軽さ」のどちらかに偏っている場合、もう一方側に大きな市場が眠っている、ともケビン・メイニーは言う。
たとえば大学。大学は単にモノを教える場ではない。大学の生活、友人との連帯感、大学祭、試験やレポートの地獄…これら全体で「上質な体験」(もちろん、この場合は「快適な」という意味ではない)を与える事にフォーカスしている。
これに対する「手軽さ」のマーケットはまだほとんど開拓されていない、という。うーん、本とかがそれに相当するんじゃないか、という気がするが…。でも、確かにそのような専門書は本質的に入手が難しいし、パッと開いても普通の書物とのギャップが酷過ぎる。もっと分量があって、その代わりもっと判りやすい解説書があってしかるべきだろう。



…ようするに I18N と L10N はどちらを優先するべき、というものはない、ということだ。
ただし、一方に徹底しろ、中途半端が一番良くない。お客様は I18N に偏った端と、L10N に偏った端にいる。真ん中にはだれもいないぞ、と。

あなたの会社は、あなたの部署は、この事を意識しているだろうか?
商品開発の段階では I18N を徹底しており「手軽さ」の境地に居るはずの商品なのに、実際には品質が低くサポートへの負担が高く L10N でヒーコラとカバーしてたりしないだろうか?
あるいは L10N を徹底して「上質」が売りなのに、自由度が低くてお客様からみると I18N の極みのような商品で、なおかつ値段だけは高かったりしないだろうか?


逆の視点から見てみよう。
よく「グループ企業内コンサルテーション」というものをやりたがる人達がいる。例えば Linux に関する知識をグループ企業内で共有して、全体のコストダウンとスキルアップを図る、なんて奴だ。一見素晴らしいお題目に見える。でも I18N と L10N の視点からすれば、これほど駄目な発想もない。実際、大抵の場合、この手の目論見は大失敗する。「失敗じゃない」と言い張る連中は大勢いるが、誰がどう見ても失敗、と言う状態に陥るのだ。

「グループ企業内」ということは、コスト的には最低限で済ませたい、という意識がありありとある。でも、じゃぁ、グループ企業内部で欠落しているのは「グループ内部で共通している部分」だけだろうか? 誰もが知っていなくちゃいけない部分すら知らない奴が、どうしてその先にある「自分たちのお客様のための L10N サービスのために別途知らなくちゃいけない知識」を持っていると??
結果としてこのようなコンサルテーションを利用する人達は「コストは I18N クラスで、要望は L10N の極みを」という無茶苦茶な事を言うことになる…というかそういう事を言ってテンとして恥じない連中、別の言い方をすると「グループ会社全体としてのコスト意識」が欠落した「自分だけよければ後は野となれ山となれ」的な発想しかしない連中ばかりがたかってくるのだ。そう「新人じゃなくなった人は何を気にするべきか -5.2- エージェンシー」で説明した「モラル・ハザード」と「逆淘汰」の世界に突入する。

グループ企業内のコンサルタントを行ないたいならば、まず I18N にフォーカスするのか、L10N にフォーカスするのかを決めるべきだ。
手軽なものならば「コンサルタント」ではなく「情報提供」に徹する。情報をまとめてイントラネットの Web に掲載し、検索エンジンを立てて検索しやすくする。さらに社内の別の検索エンジンと協力して「相互に」検索できるようにする事で誰からも発見されやすくする。しかし「問い合わせ」のような個別案件には一切かかわらない。その代わり固定費だけで抑える。
上質なものにするならば「コンサルタント」でいいだろう。ただし、要求するコストは社外コンサルタントと同じかそれ以上のコストにするべきだ。値段が高い分は「社内の、より信頼できるリソース」という付加価値を主張する。その上でその顧客専用に Focus を当てた対応をするのだ。L10N の極みを提供する。
このどちらかだけが正解で、その間の中途半端なところには、客が居ないか、売上が伸びるほど赤字になる地獄か、どちらかしか存在しない。



上質を極めようとすると、どうしても人手がかかる。このまま巨大になろうとすると、「-3- Scalable Organization」で述べたように組織を維持するためのコストが増大し、破綻してしまう。だから
上質を極めたければ
絶対客数を増やしちゃ駄目だ
同じお客様になんどもリピートしてもらうようにし、そのお客様のあらゆるニーズをカバーするようになるのはよいが、お客様の絶対数を増やそうと考えてはいけない

手軽さを極めようとするなら、
お客様の絶対数がいくら増えても
組織が大きくしない
方法をを考えなくちゃいけない。あらゆる自動化を駆使して、お客様一人当たりのコストを下げることを考えつづけなくちゃいけない。



最後に。この手の状態にあると必ずクレーマーが一定の割合で発生する。手軽さを極めようとしているのに上質を求めたり、上質を極めようとしているのに手軽さを求めたり。
そういう客は切れっ!
情け容赦なく、切り捨てろっっ!!
大丈夫。問題はない。
手軽さを極めようとしているなら、お客様は他に大勢いるはずだ。そしてそれらのお客様は「手軽さ」を気に入っているのだ。何千人ものお客様の中から一人減ったところでそもそも利益幅が薄いのだからほとんど影響はない。むしろその客を特別扱いしているのを見せつけられ、不快感を感じたために二度とこなくなる「大勢」が発生する方がよほど被害が大きい。
上質を極めようとしている店で値切るような客は、その店の品位を下げる。製品がまとっているオーラを曇らせる。下品な客が製品を使ったためにくすんでしまったオーラを復活させるのは至難の業だ。

判ると思うがこのようなクレーマーは大抵「上質と手軽さの中間点」にあなたを追い込もうとする圧力の一つだ。この一点を考えただけでも、クレーマーは切捨てるべきだ、と判るだろう。
クレーマーは客じゃない
これは、他のなによりも Focus から演繹される話なのだ。