2008年1月24日

「4合を午後6時に炊き上がるようにセットしておいて」には Leadership の全てがあるお話 -10- Leadership Divide

Leadership 教育が均質に行えないどころか、ほとんどの教師が Leadership 教育を行えない。一方で、日本が今後現状の反映を維持するには Leader立国を目指すしかない、というこの状態で無為無策を続けると、Leadership教育を重要視した家庭と、重要視しなかった家庭のどちらで育ったかに依存した機会の不公平が発生する。

これは、ちょうどコンピューターが自由に使える家庭で育ったかどうかでコンピューターに対する扱い能力に差が出て、それがそのまま就職や仕事の効率に影響し、最終的には大きな収入の差に繋がってその次の世代において格差がどんどん広がっていく…という Digital Divide と同じ問題が Leadership 教育に関しても起こる、と言う事だ。

この Leadership 教育の格差を

Leadership Divide

と呼ぶ事にしよう。

Leadership Divide の負け組になると悲惨だ。商売敵は1ヶ月1万円の給料で満足する連中なのだ。遠隔地である事、言語ギャップ(こちらは、Leadership Divide の勝ち組にとって言語教育は重要なキーの一つになるので、徐々に問題にならなくなるだろうが)、成果物の輸送コスト( digital 化された文書などは輸送コストはほとんどかからないが ) などを考慮しても、月3万円以上を要求するのは難しい。一方で、労働基準法があるから…ようするに日本という国からはどんどん仕事が無くなっていくだけ、と言う事だ。

「Leadership Divide の負け組に陥るのを看過するのも親の自由」とは、私は思わない。Leadership 教育は明らかに 教育の義務と権利 の一部として、子供が与えられるべき最低限の教育保障だと思う。とするならば、もう親が直接子供に教えるしかないではないか。

しかも、やるべきことは? と言えば「お手伝いをさせる」だ。どう考えても Digital Divide に対応するために親自身があわててコンピューターを使い始めるのに比べても、何億倍もやさしく、かつ投資もほとんど必要ない。

また、親として子供にお手伝いをさせる、事そのものは、親にとっても自身の Leadership 教育の一環となる。

手伝いの手順、意義などを子供が後に自立的に判断できるように、行う必要があるからだ。つまり、Leader としての親と言うものをきちんと見せる事で、後に子供が Leader になったときの手本・参考にならなくてはいけないため、親にとっても訓練の場となる。

企業などが行う社員教育にも Leadership 関係のものがあるが、上記を念頭に置くと社員教育は単にその企業に勤めている社員だけに行うべきものではなく、社員の家族も含めて行う必要がある、と言う事がわかる。昔、IBMのCEOが Thomas Watson Senior だった頃、これに近い社員教育方針が採られていた。II世になって社員同士のトラブルに巻き込まれるのを恐れ、会社と社員の間に距離を置くようになり、その方針が広く広まるようになったが、もし Leadership に優れた社員を多く必要としているのであれば、企業は社員のみならずその家族との距離ももっと縮める必要がある、と言えよう。

Leadership Divide の負け組になった社員はもちろん、負け組側に社員の子息がいるという状態も、社員の performance に強い悪影響を与える。その状態を回避するのに Leadership 教育が重要で、なおかつそれが社員自身の Leadership 向上にも役に立つのであれば(そして Leadership に優れた社員が多く存在する事を企業が望むのであれば)、社員の家族をも含めた Leadership 教育を推し進めるべきだ。

そして、似たような事は政府と文部省にも言えるが…彼らの場合はどうせ対応が間に合わない事はわかっている。やるべきことは、教育に関する無駄な規制を辞め(教師になるのに教員資格が必要だ、などというのは愚の骨頂だ)、監視役に徹する事だろう。