2008年1月27日

「4合を午後6時に炊き上がるようにセットしておいて」には Leadership の全てがあるお話 -11- まとめ

まとめよう。

今後、日本は技術立国として立ち行かなくなるだろう。
コンテンツとか研究開発はごく一部の人間にしかできない発想力を必要とするので主力産業とするのは論外だ。となると残るのは「繰り返し経験をつむ事で得られる技術」でしか技術立国化できないが、これに関しては月1万円レベルの給料で働いてくれる人口が20億人もいて、この労働力供給は向こう20年ぐらい衰えそうも無い。と言う事は、日本の「新人技術者」が OJT を積む場は無い、と言う事だ。

そこで、Leader立国と言う発想が出てくる。20億の労働力と戦うのではなく、彼らを指導する立場に建ち、彼らを率いて産業を組み立てていくわけだ(悪い表現を使うと、彼らの上前をはねる、となる)。

しかし、Leadership 教育を今の学校・教師システムに期待する事はできない。昔は四書五経という「Leadershipの教科書」を読み・解説できる者の事を「先生」と呼んでいたが、今の教師は単なるエンジニア開発組織の末端部員に過ぎず、彼ら自身に Leadership に関する意見も何も、持っていないからだ。

と言うわけで、Leadership教育は家庭に任されることになる。ここで、「そんなのどうでもいいわよ」と判断を下すと、子供は Leadership Divide というものに直面する事になる。つまり、Leadership を学んだものは栄え、学ばなかったものは月1万の20億人を賃金のライバルとせざるを得なくなるのだ。

じゃぁ、家庭で Leadership 教育って何をすればいいのさ…実は、単に普通のお手伝いで十分だ、と言う事になる。ただし、ある程度「タスク達成に対する障害物」が無くてはいけないが。
その意味では、一人っ子はよくないかもしれない。「手伝いを邪魔する弟・妹」もいなければ、「手伝いを邪魔してやる兄・姉」もいないからだ。親自身が上手に「障害物」にならないと、効果がまったく無くなってしまう。
重要なのは繰り返す事で信頼関係を築く事。その意味では、お母さんと言う存在の方がこの教育には圧倒的に有利である。と、同時に、Leadership という観点からすれば、

子育てをしていると仕事に不利などというのは真っ赤な間違い

子育てにおいて Leadership について十分経験を積んだ女性は、サラリーマン生活でエンジニア・ノーメンクラーツとしての訓練しか積んでいない野郎どもよりもよほど優秀であり、その経験は大勢の人間を引っ張っていく仕事になればなるほど、有利に働くはずなのだ。

# ちゃんと Leadership を意識せずに子育てをしてきた女性はもちろん不利だろうが、
# それはろくに勉強もしてこなかったサラリーマンが役立たずなのと同じである。

2008年1月24日

「4合を午後6時に炊き上がるようにセットしておいて」には Leadership の全てがあるお話 -10- Leadership Divide

Leadership 教育が均質に行えないどころか、ほとんどの教師が Leadership 教育を行えない。一方で、日本が今後現状の反映を維持するには Leader立国を目指すしかない、というこの状態で無為無策を続けると、Leadership教育を重要視した家庭と、重要視しなかった家庭のどちらで育ったかに依存した機会の不公平が発生する。

これは、ちょうどコンピューターが自由に使える家庭で育ったかどうかでコンピューターに対する扱い能力に差が出て、それがそのまま就職や仕事の効率に影響し、最終的には大きな収入の差に繋がってその次の世代において格差がどんどん広がっていく…という Digital Divide と同じ問題が Leadership 教育に関しても起こる、と言う事だ。

この Leadership 教育の格差を

Leadership Divide

と呼ぶ事にしよう。

Leadership Divide の負け組になると悲惨だ。商売敵は1ヶ月1万円の給料で満足する連中なのだ。遠隔地である事、言語ギャップ(こちらは、Leadership Divide の勝ち組にとって言語教育は重要なキーの一つになるので、徐々に問題にならなくなるだろうが)、成果物の輸送コスト( digital 化された文書などは輸送コストはほとんどかからないが ) などを考慮しても、月3万円以上を要求するのは難しい。一方で、労働基準法があるから…ようするに日本という国からはどんどん仕事が無くなっていくだけ、と言う事だ。

「Leadership Divide の負け組に陥るのを看過するのも親の自由」とは、私は思わない。Leadership 教育は明らかに 教育の義務と権利 の一部として、子供が与えられるべき最低限の教育保障だと思う。とするならば、もう親が直接子供に教えるしかないではないか。

しかも、やるべきことは? と言えば「お手伝いをさせる」だ。どう考えても Digital Divide に対応するために親自身があわててコンピューターを使い始めるのに比べても、何億倍もやさしく、かつ投資もほとんど必要ない。

また、親として子供にお手伝いをさせる、事そのものは、親にとっても自身の Leadership 教育の一環となる。

手伝いの手順、意義などを子供が後に自立的に判断できるように、行う必要があるからだ。つまり、Leader としての親と言うものをきちんと見せる事で、後に子供が Leader になったときの手本・参考にならなくてはいけないため、親にとっても訓練の場となる。

企業などが行う社員教育にも Leadership 関係のものがあるが、上記を念頭に置くと社員教育は単にその企業に勤めている社員だけに行うべきものではなく、社員の家族も含めて行う必要がある、と言う事がわかる。昔、IBMのCEOが Thomas Watson Senior だった頃、これに近い社員教育方針が採られていた。II世になって社員同士のトラブルに巻き込まれるのを恐れ、会社と社員の間に距離を置くようになり、その方針が広く広まるようになったが、もし Leadership に優れた社員を多く必要としているのであれば、企業は社員のみならずその家族との距離ももっと縮める必要がある、と言えよう。

Leadership Divide の負け組になった社員はもちろん、負け組側に社員の子息がいるという状態も、社員の performance に強い悪影響を与える。その状態を回避するのに Leadership 教育が重要で、なおかつそれが社員自身の Leadership 向上にも役に立つのであれば(そして Leadership に優れた社員が多く存在する事を企業が望むのであれば)、社員の家族をも含めた Leadership 教育を推し進めるべきだ。

そして、似たような事は政府と文部省にも言えるが…彼らの場合はどうせ対応が間に合わない事はわかっている。やるべきことは、教育に関する無駄な規制を辞め(教師になるのに教員資格が必要だ、などというのは愚の骨頂だ)、監視役に徹する事だろう。

「4合を午後6時に炊き上がるようにセットしておいて」には Leadership の全てがあるお話 -9- 今の学校の先生にLeadershipは教えられない

今の学校の先生に Leadership が教えられない理由は何か。これを理解するには、江戸時代などの藩校などと比較すれば最も簡単にわかる。

江戸時代、文武両道を旨としていた藩校が「文」として教えていたのは、四書五経の素読と習字である。ところが、四書五経というのはそもそもが
優れた王たるもの、かくあるべし
というリーダーシップ論とそのための背景知識を説明した本だ。それを読み、意味を教えられる先生と言うのは当然、相応の Leadership論と知識の実践に関する一定の意見を持っていた(もちろん、江戸幕府が朱子学という枠を用意していたので、独自性や多様性には一定の枠がはまっていたとは思うが)。

つまりこの当時は、
Leadershipとはなんであるか
を教えられる人の事を先生と呼んでいたのだ


この定義上、当然この頃の先生は Leadership を教える事ができたのだ。

明治時代になっても、この先生Leadership との繋がりは多くの人のイメージにこびりついていたため、この頃までは「指導者として」優れた教師もまだ多かったと思う。

しかし、今の教師の中に 四書五経を読みこなしている者など皆無だろう。

学級崩壊に見られるように、40人程度の子供を導くのも容易ではない有様だ。もちろん、これは親が子供に教師を敬うよう教えないのも原因の一つだろうが、もう一つには Leadership を得るための準備・細かい繰り返しのコンタクトなどに欠けるためでもある。

しかし、さらに言うならば教師になるための教育の中に Leadership に関するものはほとんど無い。どちらかと言うとこれをメインにするべきなぐらいなのに、彼らの職場ではたった一人で40人の子供の相手をし続け、ほとんど指導者が即時指導する、などの OJT もままならない。

じゃぁ、Leadership を教育した教師を育てたらどうなるか。文部省から教育委員会、学校内のヒエラルキーという巨大なピラミッドの底辺部分に当たる教師を Leadership 豊かにしたら、ピラミッドはひっくり返ってしまう。もう一つのピラミッド、日教組など法的な強制力が無いのだから言わずもがなだ。よって、教師は
  • なりたての頃は Leadership について何も知らず
  • なってからも Leadership について何も教わらず
  • Leadership のあるものは排斥される組織構造
の中にいる事になる。これで Leadership について生徒に教えられるような教師が、全国の生徒達に教え得るだけの数存在していたら、それは奇跡と言うものだ。

このように、Leadership に関する限り、学校はまったく持ってあてにならない。それは個々の教師の問題ではなく、教育システムが技術者を大量育成する事に最適化されているからだ。この状態では、Leader を大量生産する教育システムなど絶対に作れない。

江戸時代が終わり、教育システムが変化してもしばらくの間優れた Leadership 教育者が出た事からも判るように、Leadership 教育ができない今のシステムも「今日、この場で」改善を開始したとしても入れ替わるのに40年はかかるだろう。しかるに日本には20年しか執行猶予は無い。

我々は学校・政府に頼っていたのでは間に合わない、という事態に陥っているのだ。

2008年1月21日

「4合を午後6時に炊き上がるようにセットしておいて」には Leadership の全てがあるお話 -8- Leader 立国

20世紀、日本の基本戦略は一貫して技術立国だった。

ペリーが日本に来て、強制的に開国を迫って以来、日本の戦略は一貫して
西洋に脅されない日本を作る
だった。そのために、西洋に匹敵する軍事力を持つ必要がある。軍事力を支える技術力と資金力が必要になる。そこで富国強兵というキーワードでまい進してきた。

これは第2次世界大戦後も本質的には変わっていない。軍事力は所持できなくなったが、その分を金の力でやろうとしているのに過ぎない。そして、そのために
技術立国
というキーワードが使われてきた。

おそらく、今30代以上の年齢の人たちは小学校のときに、次のように教わったのではないだろうか?

「日本には資源がありません。ですので、外国から資源を買い、それを加工して付加価値をつけて外国に売る、という形でお金をもうけ、そのお金で日本で暮らしていく上で必要な食料などを買う必要があるのです」

これはある意味正しいし、このような商売をするためには、優秀な加工技術が低価格で供給される必要があった。日本の義務教育システムは、このような人間を作るのにもってこいのシステムだったわけだ。

しかし、1ドルが360円で初任給が10万円の時代(大雑把に言うと年俸3000ドルの時代)ならば十分太刀打ちできていたかもしれないが、今は1ドルが100円で、初任給は 25万円(大雑把に年俸30000ドル)が日本の水準だ。決して「安い労働力」とはいえない。

一方で、中国には 13億人、インドには10億人、アフリカその他をあわせると35億人の「潜在的労働者」が世界中には存在する。これらの労働市場には「1ヶ月1万円で満足する基本技術労働者」を20億人規模で、20年間供給し続ける能力がある。これらの国々では食料の自給率が高いため、このような賃金でも食べていけるわけだ(日本でこのようなことは実質不可能である)。

技術力の大きな部分を占めているのが、反復訓練による技能向上である。低賃金で労働力を供給できる国に、工業的技術力は絶対移動していく。『高度な技術力』を持つ工員を一人作るには100人規模の工員が同じ仕事をし、99人が敗退していく必要があるので、日本でこのような技術者を育成し続ける事は(国策などで大赤字を大前提にでもしない限り)不可能だろう。

つまり何を言っているかと言うと、向こう20年間の内に、日本から技術力は消え去る、と言う事だ。1億の人間が食っていく戦略として技術立国はもう成り立たない

では何で食っていくか。

その候補の一つが Leadership なのだ。日本には「今は」技術力がある。その技術力を海外の安い労働力に移転し、その過程で彼らの Leader として入り込み、彼らに高い付加価値を作ってもらい、その「上前」で食べていく、と言う事だ。もう少しシビアな表現をするなら、

Leader立国としての日本ぐらいしか

この国が食べていくための方策は残っていない


他の産業は、よほどの才能を必要とするか、価格競争に曝されているか、地理的に狭い領域を相手にしているため「海外からの資源の輸入」という観点からは役に立たないか、どれかになってしまうのだ。

このためには Leadership を持った人材を多く育成する必要がある。
「あぁ、学校教育で Leadership を教えればいいじゃん」

…あいにくとそうは問屋がおろさないのだ。

2008年1月20日

「4合を午後6時に炊き上がるようにセットしておいて」には Leadership の全てがあるお話 -7- これは個人の趣味ではない

一応まとめ。
「4合を午後6時に炊き上がるようにセットしておいて」
というお手伝いをお願いしたお母さん。彼女は実はこのお手伝いを指示する段階で、次の5つの事ができている必要が有る。
1. 子供にでもできるように作業を分割してある
2. 子供を信頼して依頼する
3. 小さな約束をし、守る事で、子供に信頼してもらう
4. 結果に対してフィードバックをかける
5. 子供が依頼を遂行している間、あなたは彼らのそばにいる…も同然
で、これはよく見ると
a. 事前準備
b. 子供との相互信頼の確立
c. フィードバックによる作業改善
というLeaderがなすべき3つの要素がすべて入っている事が判る。この3つの要素がチームを一体化させ、結果として:
仲間からの信頼、
この人に任せれば大丈夫という安心感、
この人に任せてもらえたと言う形でのモチベーションの向上、
この人が言うのだからとグループ全員に同じ方向を向かせる方向性の決定能力
という4つの結果を導き出す。

かくも、「お母さん」という職業は Leadership の訓練に最適であり、故に「主婦業をやっていたから仕事ができない」などというのは大嘘なのだ。主婦業をやっていたからではなく、Leadership について考えていなかったから、であれば納得もいくが、それは普通のサラリーマンでもボーっと日々の作業をこなすだけでまったく向上心を持たなければ、だめだ、と言うのと同じ話でしかない。



と、ここまでだと、

なるほど、そういう見方もあるね。
でも、本質的にはそれは個人の自由ってものではないの?

という意見があるだろう。

で、私も「20世紀中」であればその意見に同意する。が、21世紀はその意見は間違いだ、と言おう。

なぜならば、20世紀、日本は技術立国だった。21世紀は Leader立国 でなくてはいけないからだ。と言うわけで「Leader 立国って何さ」と言う話を次にするので、この話、もう少し続く。

2008年1月15日

「4合を午後6時に炊き上がるようにセットしておいて」には Leadership の全てがあるお話 -6- 子供が依頼を遂行している間、あなたは彼らのそばにいる…も同然

5. 子供が依頼を遂行している間、あなたは彼らのそばにいる…も同然
さて、最後だ。

1-4までの事をすべてきちんと行ったとしよう。特に4の「結果に対してフィードバックをかける」をしっかりと行ったとしよう。その上で、また「ご飯を炊いておいて頂戴」というお願いをしたとする。

基本的に子供は同じような事を同じように行うだろう。
計量し、洗米し、水を張り、炊飯器にセットし、炊飯器をセットし、スイッチを入れる。

問題は、この際の子供の心境だ。特に水を張っている時。

きちんと信頼関係が作られているならば、この子供はおいしいといってもらえるようにするために、水の量を細かく加減するはずだ。もちろん、その結果が成功かどうかはともかく、そのように考えて行動するはずだ。

「ちょっと目を離すとすぐ悪さをして…」

というこの台詞は、子供を評する親からも、部下を評する上司からも聞かれるが、この両者に共通するのは、
目を離している間、(子供|部下)は(親|上司|お客様)の事を失念する
という点だ。しかし、きちんと1-4までを行っていた場合、(子供|部下)は少なくとも手伝いをしている間

・仕事をきっちり仕上げようというモチベーションが出ている
・(親|上司|お客様)がその場で監視していなくても、相手の事を考えて行動している

という2つの条件をクリアしている事になる。


「女性は子供に縛られる」と言う。しかし、このことを見れば、正しくは「子供に縛られる」のではなく、
子供に対する Leadership が取れていない
のだと言う事が判る。Leadershipが取れていないのであれば、子供は暴れ、部下は仕事をしないだろう。そこには何も違いは無い。逆に Leadership が取れていれば、たとえ親自身の目が離れていても、その間にやるべきことを与えれば、コントロールは取れるのだ。

Leadership をとるには 1-4 までのステップが重要であり…と言う事は、定期的に、小さな仕事を頼む(別に小さくなくても本当はいいのだが)事そのものが、Leadership を維持する上で不可欠だ、と言う事が判るだろう。

Leadership をとる事で仕事を頼めるようにする、と言うのは実は一面的な見方でしかない。仕事を頼む事によって Leadership が取れるようになる。


たまに「Leadership を取れるようになったら昇進させてやろう」とバカな事を言う人がいるが、

Leadership を取るには
仕事を頼める立場に立たなくてはいけないのだ


ガソリンエンジンを動かすには最初にスターターが必要なのと同様、Leadership もスターターが必要なのだ。このスターターなしで Leadership を手に入れるのは、ものすごく小さな micro start からはじめる必要がある。

権限を与えずに「Leadership を発揮して成果を出せ」と寝言をいい、その結果が出ないと「部下が無能で」と嘆く人が多いが、そのような人間には一切の同情は無用だ。部下が無能なのではない。権限を与えていないその人が無能なのだから。

2008年1月13日

「4合を午後6時に炊き上がるようにセットしておいて」には Leadership の全てがあるお話 -5- 結果に対してフィードバックをかける

ご飯が炊けたら当然それを食べる事になる。ここで大事なのが:
4. 結果に対してフィードバックをかける
というこれだ。

仕事のフィードバックはとても重要だ。よくできていたならその事を伝えるべきだし、悪いところがあったらそれを指摘しなくてはいけない。そして何よりも、
その仕事をやってくれて感謝している
事を相手に伝えなくてはいけない

これが仕事をしてくれた人たちに、「あぁ、この人のために仕事をして良かった」と言う感想を与え、次の仕事のバネとなってくれるのだ。侮ってはいけない。

と言う訳で、ちゃんと「6時に帰って来た」お母さんはご飯の準備をしながら、
「あ、ちゃんとご飯炊けてる。ありがとうね」

ご飯を食べながら、
「xx ちゃんがご飯を炊いたの。おいしいね。」
「でも、おかあさん、もう少しやわらかい方がいいなぁ。
お水をほんの少しだけ多い目にするといいのよ」

と、延々、次のお手伝いモチベーションを上げるための感謝 & スキルアップのための指導をする必要があるのだ(おかぁさんは大変だねぇ)。


この感謝 & 指導に手を抜いてはならない。手を抜かないと、実は次の回でよいことがあるのだ (^o^)。
と言う訳で、続く。

2008年1月9日

「4合を午後6時に炊き上がるようにセットしておいて」には Leadership の全てがあるお話 -4- 小さな約束をし、守る事で、子供に信頼してもらう

3. 小さな約束をし、守る事で、子供に信頼してもらう
-3- の最後で「あなた自身は相手にとって信用されたい人か?」という問いを入れた。

一般に人間は自分が信用する人から信用されたいし、信用しない人からは信用されたくない。したがって、相手に対する「あなたを信頼しています」というメッセージは、そのままでは諸刃の剣になる。

これは自分の子供が相手であっても同じだ。いくら自分の親であっても、あまりにも嘘ばかりつくのでは信用できない。そのような者から「信頼しています」というメッセージは、嘘八百である可能性があるので、当然これまた信用が置けない。何を裏でたくらんでいるのやら…


という事は。Project Leader はまず信頼されなくてはいけない。でないと、仕事を割り振る事ができないのだ。特に自分が監視し続ける事ができない仕事を頼むには、相手を信頼するだけではなく、相手からも信頼されなくてはいけないのだ。

これが難しい。

実はここで重要になるのが「小さな約束事をして、それを守る事を繰り返す」事。

大きな守るのが難しい約束を1回守ってもあまり信頼度は上がらない。偶然約束が守れた可能性がある、と考えられてしまうのだ。そうではなく、小さな約束事を毎日守ることで、信頼を積み上げ、最終的に大きな信頼を得る。これが重要になる。

まー、実際問題として。たくさんの約束をすればいくつか守りきれないときもあるけれど、小さな約束なら、信頼の失墜量も少ない、というのもあるんだけどね。


この場合、「6時に炊き上がるようにセットする」という事は、「6時頃には帰ってくる」という暗黙の約束がある、という事だ。
「お手伝いを頼むとは、必ずカウンターで暗黙の約束をしている」
のだ。「あなたのその作業を無駄にはしませんよ」という約束を。この約束をきちんと守れば、あなたは信用され、結果としてあなたのメッセージである「あなたを信用していますよ」というメッセージも信用される、というポジティブフィードバックが形成される。

よく、「社員のモチベーションが上がらない」という悩みを持っている会社や部署を見聞きする。しかし、そもそもモチベーションというのは、
  • 自分が興味を持つ事をやる
  • 相手が自分の労に足りる相手である
というどちらか最低限度でも一方、できれば両方が成立しないと上がらないものだ。「社員の」モチベーションが上がらない場合、それは「社員に」問題があるのではなく、ご褒美をちらつかせれば良くなるものでもなく、

社員から信頼されなくなるほど、
社員を裏切り続けた会社側に問題がある

あるいは上司に問題がある場合も、
そのようなものが偉くなれる、という意味において
会社側に問題がある


というこの点をまず絶対前提として受け入れなければ、問題は解決しないのだ。


ちょっと脇にそれたが。これで判ったと思うが、お手伝いはさせたほうが親に対する信頼は増すのだ。Project Leader も小さなお願いをたくさん member に行い、それをきっちり生かす運営をするのが、信頼を増す近道なのだ。

たぶん、自分でやった方が早い、という事は多々あるだろうが、それでは信頼関係が築けない。leader と member の間も、親と子の間も。

「4合を午後6時に炊き上がるようにセットしておいて」には Leadership の全てがあるお話 -3- 子供を信頼して依頼する

2番目のポイントは「子供を信頼して依頼する」だ。

これは必然的にそうならざるを得ない。依頼している自分は、子供が米を磨いでいる間も、炊飯器をセットしている間も家にいないのだ。乱暴な話、子供が何もしなかったとしてもそれを訂正するすべはない。

したがって、このような依頼をする場合は、子供を信頼するしかないのだ。

重要なのは「信頼する事そのもの」ではない。実はこの依頼は子供に
「あなたの事を信頼しているからね」
というメッセージを送っているのだ。子供に対する信頼を態度で示している、と言い換えてもいい。

一般に「信頼している」という言葉は信用されない。しかし、信頼しているという態度は信用される。これは子供に対しても、大人に対しても言える事だ。

ただしこのままだと問題が1点。
あなた自身は相手にとって信用されたい人か?

この問題を解くために、この次のポイントが重要になってくる。

2008年1月6日

「4合を午後6時に炊き上がるようにセットしておいて」には Leadership の全てがあるお話 -2- 子供にでもできるように作業を分割してある

最初の項目は『子供にでもできるように作業を分割してある』だ。正確には、作業を分割しすでに手順を教育してある事になる。

「4合を午後6時に炊き上がるようにセットする」

というこのコマンドを実施するには、最低限でも次の知識が必要だ。

a) 「4合のお米」の計測方法が判っている
b) 4合以上お米の備蓄があり、それがどこにあるか判っている
c) 必要に応じて、お米を洗う方法がわかっている。
「必要に応じて」なのは無洗米かもしれないから。
d) 一緒に入れる水の分量がわかっている
e) お米の炊飯方法がわかっている。
多くの場合、これは炊飯器の操作方法と、タイマーの設定方法がわかっている、ということだ。

しかし、実際にはこれらのほかに次の大きな障害物を考慮しなくてはいけない。

f) 兄弟姉妹の内、年長のものがこれを実施するとする。
すると弟妹がこれを邪魔する行為に出る場合が、大雑把に 1/3 の確率で発生する。
この状態でも危険な状態に陥らず、できればお米が無駄にならないように環境が整えられている

この f の条件はプロジェクトが失敗する要因のうち、予測可能なものでなおかつ発生確率の高いものについて対策を打つ事を意味するが、お母さんという立場はこのことを常に念頭に置かなくてはいけない。

例えば、今回の場合だと、
1) お米の計測を邪魔する
2) 洗米を邪魔する
3) 水を張る段階で邪魔をする
4) 炊飯中に邪魔をする
の4通りの邪魔の仕方が考えられる。台所で真に危険なものは火と刃物だ、という事を考えると、今回「刃物」は使う必要がないので火に注意すればよい事がわかる。手順で言うと 4 だ。ここだけは死守しなくてはいけない。でないと、人死にがでかねない。

このことから、電子炊飯器を使って炊飯するべきであって、ガスの炊飯器や土鍋で炊いたりしてはいけない、ということが判る。ガス式炊飯器は電気式炊飯器に比べて より悪戯に弱い という性質を持っているからだ。

これはさらに本質を考えると、小さい子供が親がいないときに行う悪事は、親がいるときに行う悪事よりも、悪質で被害が拡大しやすい事を意味する。親がいる間は悪事は自分自身に降りかかってくるが、親さえいなければ年長者のせいにしたり、後片付けをそちらに押し付けたりできるなど、
同じリスクでより派手な悪事を行える
からだ。

「4合を午後6時に炊き上がるようにセットしておいて」というこのリクエストを子供に発行するためには、以上のようなポイントをすべて考慮した上で炊飯器を選択し、米びつなどを準備してから、子供にやり方を教えなくてはいけない。また、上の子供が飯ごう炊飯などのやり方を知っており、炊飯器が壊れたからといって、土鍋で炊いておくよう頼んではいけない事を意味する(少なくとも下の子と二人だけで留守番をさせているときには)。


これは、仕事における準備と環境設営と同じ事だ。仕事の場合も、同じようなポイントについて注意しつつ(あぁ、もちろん、小さな子供がどのような悪さをするのかは、気にしなくて良いが)、仕事をするために必要な環境を整える必要がある。そのためには作業内容を分割し(あるいは Engineer に分割してもらい)、注意点を教えてもらい、対策を考慮し(あるいは Engineer に考慮してもらい)、必要なことが揃っている事を確認する必要がある。


Team で仕事をする場合 Leader に期待される事に「準備」がある。お母さんというものは、日々の生活の中でこのように「準備」の大切さに直面し続けているはずなのだ。