2010年4月10日

新人じゃなくなった人は何を気にするべきか -5.2- エージェンシー

取引コストは、誰にでも存在するコストだった。構造的には対称形をしている。と言うことは、次からは当然非対称な状態についての話になる。

エージェンシー理論では、取引をする2者は非対称になる。一方をプリンシパル(依頼人)、もう一方をエージェンシー(代理人)と呼ぶ。
エージェンシー理論においては、プリンシパルは何かをしたいのだが、自分ではできない。そこでエージェンシーを立てて自分の財産の一部操作する権利をエージェンシーに渡す。エージェンシーはその権利を利用してプリンシパルの目的を達成し、同時に自分でも利益を得る。これが理想的な状態。
プリンシパルは限定合理的なので、エージェンシーについて完璧な情報を得ることはできない。さらに、エージェンシーを常に監視し続けるととても高いコストを払うことになる。もちろん、プリンシパルとエージェンシーの利害が完璧に合致することはありえない。プリンシパルを裏切るとエージェンシーの儲けが増えるなら、エージェンシーは情け容赦なくプリンシパルを裏切るだろう。
また、プリンシパルがあるエージェンシーを雇うのは、そもそもがそのエージェンシーの方がプリンシパルの目的達成に関しての知識があるからだ。と言うことは、プリンシパルにはエージェンシーが秘匿している情報を知るには高いコストが必要になる。
このような条件下で、どのような問題が発生しうるのか、どのようにすれば問題の発生を抑えられるのか、というのがエージェンシー理論。

ぱっと考えて判るように、これ、意外と適用範囲が広い。
  • 株主と経営者
  • 雇用者と被雇用者
  • 規制当局と被規制者
  • 内閣の大臣と各官庁の官僚
など、規制やサービスなどはもちろん対象になるが、実はこの理論が有名なのは「中古車販売」だったりする。「自分の欲しい車を探している購入者」と「中古車を中古車市場から探し出し、購入者に転売して利ざやを稼ぐ中古車販売業者」もプリンシパルとエージェンシーだ。

大雑把に2種類の問題が発生することが知られている。1つ目は「モラル・ハザード」。もう一つが「逆淘汰」だ。より単純なモラル・ハザードから見ていこう。

モラル・ハザード

モラル・ハザードは…そのまんまだ。情報的にはエージェンシーの方が多い。プリンシパルはエージェンシーを監視できない。プリンシパルの利害とエージェンシーの利害は合致していない。
ヒャッホー
俺(エージェンシー)の好きにさせてもらうぜっ!!
こうしてプリンシパルは裏切られ、プリンシパルの利益は最大化されない。最大化されないどころか、下手をすると食い物にされちゃう。これがモラル・ハザード。


モラルハザードはいろいろな場面で頻繁に起こる。

例えば銀行の預金保護。あなたが銀行に預けた預金は保護される。銀行が破産しても国が元本分は保証してくれるのだ。銀行が持っている借金分は破産によって(資産分を充当した後)棒引きされる。株式会社って奴だからだ。
結果として、銀行はあなたの預金をよりリスキーだが当たればでかい博打に投入することができる。
勝負に勝てば、利益は俺のもの
勝負に負ければ、損害は国のもの
これで大博打を打たない方がおかしい。
もちろん、実際には銀行がやって良い業務には膨大な規制が掛かっていた。そのため、ここまで悪辣な方策は打てなかったのだが…。


ベンチャーの投資も同じだ。ベンチャーが立てた企業目論見書を見て、ベンチャーキャピタルはカネを貸すことを決める。しかし、ベンチャーがその目論見書通りに働くという保証はない。勝てば自分の利益、負ければキャピタリストの損、という状態なので、特に上手くいかない状態が続いたベンチャーは最後の博打を派手に打ちたがる、という傾向がある。


似て非なるけれど、やはり似ているのが、サブプライムローン問題。リーマンショックに至る原因ですな。
アメリカのローンは、借りる側をクレジットスコアで評価している。信頼ができる客をプライム層、それよりも評価が劣る人達をサブ・プライム層と呼ぶ。
プライム層に金を貸してもほぼ確実に金は返ってくる。なのでこれらの人達にお金を貸しても余りリスクは高くない。リスクが高くないので、様々な側面で利率が低い状態でしかお金を貸せない。そこでハイリターンを狙うなら、ハイリスクなサブ・プライム層の借金をどうにかして、リスクを下げることは出来ないか?! という事になる。
で、サブ・プライムローン問題の場合、住宅ローン…つまり担保があることを利用しての借金…を狙うことになった。さらに、債権を全部ひとりで背負うと大変なので、これを小さな単位に分割する。で、さらに他のサブプライム・ローンの借金の一部と組み合わせて、一種のポートフォリオを作り上げ、それを証券として売り出す、と言うことを考えた人がいたわけ。
担保があるので取りはぐれる可能性は低い。また、複数の借金を組み合わせてポートフォリオ化しているので、一人の借金が焦げ付いても被害は簡単には甚大にはならない。そういう発想なわけだ。

え?これだといいように聞こえる?えぇ、実際、この場合のエージェンシー…つまり借金を証券化した人達…自身も自分たちが一種の詐欺を働いているとは気がつかなかった。
サブ・プライムローンの問題は、ようするに各借金並びに担保回収の可能性は一次独立である、とした仮定にある。ある一人の借金が焦げ付いても、別の人の借金は焦げ付かない。ある一人の借金の担保である家の価格が下がっても他の借金の担保である家の価格は下がらない。そういう仮定があったわけ。
でも、景気にはトレンドというものがある。景気が悪くなれば最初に首を切られるのは誰か?サブプライムにクラス分けされている人達はまさにその「最初に首を切られる可能性が高い人達」だからサブプライムにクラス分けされているわけで…で、その時に担保として取り上げた家の評価額は? そら下がってるわな。多少なら下がっても大丈夫だろうけれど、バブル経済は
バブルがはじけた時の評価額下落量が、
さらなる焦げ付きを発生させる程酷くなったら
バブルはハジケる
気がついたら、プリンシパルはとんでもない博打を打たされていた、という状態に陥る。

逆淘汰

プリンシパルは、エージェンシーの裏切りに耐えるしか無いのか? いや、そんなはずはあるまい。何らかの対策が打てるはずだ。そう考えた人は沢山いる。何よりも、そんなに裏切り行為ばかりだったら、そもそもほとんどのサービス市場は成立しないじゃないか。でも、多くの人は裏切り行為を経験することもなく、サービスを手に入れている。きっと、なにかあるんだよ…

最も簡単な対策は、エージェンシーからのアガリにリスク分を最初から含める、というものだ。
先程のサブプライムローンの場合を考えて欲しい。借金を必ず返せるだろうとされるプライム層と、借金が返せない可能性があるサブプライム層では、同額を借りても利率が違う。サブプライム層にカネを貸すと裏切られる可能性があるから、その分割高にすることでリスクを相殺しよう、という考え方だ。やれやれこれで一安心…だろうか?(つーか一安心なら逆淘汰なんて項は作らないよね)


一番有名な「一安心じゃなかった」例が レモン市場 と呼ばれる現象。特に中古車市場で起こったケースが有名だ。そう、実際問題は起こっている。

中古車を買ったことがある人はわかると思うけれど、中古車の品質を調べるのは大変だ。年数、走行距離程度じゃ車の品質はほとんど判らない。事故歴・故障履歴はもちろん、改造されている可能性だってあるわけだから。
もちろん、中古車を売る側…この場合のエージェンシー…はそれらの情報を全て持っている、と仮定しよう。中古車を買う側…この場合のプリンシパル…はエージェンシーの詐欺行為からどうやって身を守ればよいだろう?
容易に考えつく手の一つが、リスクに応じてプレミアムをつける、と言うやり方だ。ある中古車は30万円の価値がありそうだ。でも騙されているかもしれない。だから20万円までしか出さないぞ、というわけ。相手が正直であれば10万円分得をする。不誠実だったら20万円の損だが30万円の被害よりはましだ。

実際にこれをやると何が起こるだろう?
正直なエージェンシーが中古車を売りに出す場合を考えよう。実際には30万の価値がある。エージェンシーは30万円だと見積もっている。プリンシパルも30万円の価値があると考えたが、プレミアム分を引くので、プリンシパルは20万円しか出さない。結果、この良質な中古車は中古車市場に流通しない。
嘘つきなエージェンシーが中古車を売りに出す場合は?実際には10万円の価値しかない車を、30万円の価値があるかのように偽装してうりに出したとする。プリンシパルは20万円で勝負を挑む。エージェンシーは +10万円 を濡れ手で粟で手にいれた。この場合この悪質な中古車は中古車市場で流通する。

プレミアムは悪質な車だけが流通する状態を作る。良質な車はプレミアム分の値下げに耐えられず市場から出て行く。こうして悪質なものばかりが流通する市場が出来上がってしまう。
このようにプリンシパルが目的とした結果と逆方向に市場全体が流れてしまう状態を 逆淘汰 と言う。



逆淘汰を防止するにはどうすればよいか? 実は解は見つかっていない。一見解になっていそうな解決策が致命的な弱点を持っていることが多々ある。
一般解としてよく言われるのが「インセンティブ」的な考え方だ。エージェンシー理論における諸問題は全て、エージェンシーとプリンシパルの利害関係が合致しないために起こる。なら合致させればいいじゃん、というわけ。

例えば営業。営業マンに会社の商品をより積極的に売ってもらうにはどうすればよいか?喫茶店やパチンコ屋で一日を過ごすのではなく、お客様を訪問し、ニーズを聞き出して商品を売り込んでもらうにはどうすればよいか? よくあるのが インセンティブ制 の考え方だ。つまり売上の一部を営業マンの利益としよう、と言う考え方。これで、営業マンは働けば働くほど収益が増え、プリンシパルもエージェンシーも万々歳…一時期とても流行った考え方だ。今でもこの方式をとっている会社がほとんどだろう。
生憎、この方法は非常に悪質な営業マンを呼び寄せる。
インセンティブ制の弱点は、「売上」にしか注目していないことにある。商品を買った客は、自分が買ったものが自分が欲しかったものと合致しないと、企業に対する評価を下げる。消費財の場合下がった評価はもとに戻らない。耐久消費財の場合、サポート部隊がお客様の直面している問題を改善するべく活動し…結果、営業が不適切な商品を売ったことを発見する事が結構あるのだ。
売上は、契約が成立し売掛金を回収した段階で成立する。お客様に不適切な商品が売られたことが判明するのはその後のことだ。優秀で悪質な営業マンは、お客様のニーズに対して微妙に性能不足な…しかし価格的には安い商品を売り込む。複数のお客様に同時に売り込み、インセンティブを一気に稼ぎ、転職する。問題が発覚しても、その営業マンはもういない、会社に被害が残る、というわけだ。


似ているが、さらに問題がややこしい例として「社員持ち株制度」があげられる。社員自身が会社の株を持つことで、会社の業績と社員の収益の間に相関性を持たせることができる。会社の業績がアップすれば株価もアップし、配当も受け取れる。社員は会社の業績をアップさせるために精勤する事が、自身の利益へと直結する…
生憎これは最悪のシナリオを考えていない。
会社の業績に関連する、会社内部要因に社員の精勤率があるのは事実だ。しかし、同じぐらい、経営者の能力がモノを言う。経営者が馬鹿な指示を出し、社員がそれを精力的に実現しようとすると、会社の業績は急激に悪化する。悪化するためのシナリオを精力的に実現しているんだから当然だ。
会社の業績と精勤率の間に逆相関が現れた事は、社員が誰よりも早く気がつく。この瞬間から、社員の忠誠心が急速に失われて行く。持株の価値を下げまいとするためにサボタージュを行うものもいれば、損害を最小化するために持株を売り払おうとして市場に売り圧力を発生させ、さらに持株の価値を下げてしまう社員もでる。結果、事態は加速度的に悪化して行く。
社員の精勤率が下がった状態で、仮に経営者が過ちに気がつき、修正をかけようとしても誰も動いてくれない。そもそも、その「修正」を提示している経営者への信頼がすでに無くなっているのだ。一見正しそうに見えるからと言って、どうしてそれで事態がよくなると言える? それよりこのボロ船から取れるだけのものを取って、とっととおさらばしようぜ……
結果、修正は実行されることなく、事態はさらに悪化する。

経営的には正しいが、社員への負担を要求するような施策を経営者が出してきたとする。社員にはジレンマが生じる。株主としての社員はこの施策で利益を得る。社員としての社員は損害が出る。プラスマイナスを勘案するとどちらが大きいか? これは持株を多く持っている社員…大抵は古株の社員…程プラスに、新人ほどマイナスになるだろう。この施策は、会社の結束力を分断する結果を産んでしまう。
もっと困ったことも起こる。持株を多く持っている社員が自らの利益を最大化しようとすると、この会社に対しては純粋に株主であるのが最適になる。つまり古株の、多くのノウハウをもった社員が転職するきっかけを作ってしまうのだ。逆淘汰圧を社内にかけたのと同じ状態に陥る。

これらの問題を回避しようとすると、経営陣が打てる手として残っているのは非常に穏当なものしか無い、と言う状態に陥る。これでは急激な市場変化…リーマンショックによる世界同時不況とか…に対応出来ない会社になってしまう。これはこれで、プリンシパル(株主)の利益が阻害される…



実はエージェンシー理論が、通常の方法では解決出来ないのには理由がある。解決策として提示されているものが全て、価格ベースの解決策なのだ。
Who is Customer』の所で示したように、市場において価格はゼロサムに為るように流通する。つまり、私と貴方が取引をした場合、そこを流れるモノやお金は取引前も、取引後も0になる。何も残らないし、何も残さない。取引によって取引をした人達双方の価値の総和は増える。しかし価格はゼロサムなのだ。
価格ベースの解決策は、会社が手に入れたお金の分配法則だけでプリンシパルとエージェンシーの利害を合致させようとする。しかし分配できるお金の総和は固定だ。そのため、プリンシパルの取り分が増えるとエージェンシーの取り分が減る、と言う状態が発生する。
会社が成長しているときは、それでも双方の取り分が増え続けるので、問題は発見されにくい。しかし、会社の成長がとまったり、何らかの理由で収益が減った場合、プリンシパルとエージェンシーは取り分をめぐって争いを始めることになってしまう。利害が一致する、とは利益が出ているときは良いが、被害が出ている時も一致してしまうのだ。

ここまで説明すれば自明だろうが、エージェンシー理論の真の解決策は 価値ベースの解決策 を見つけることでしか得られない。足して0にならないのは価値だけなのだ。プリンシパルからみて価値の低い、しかしエージェンシーから見て価値の高いものを取引材料に、プリンシパルから見て価値の高い、しかしエージェンシーから見て価値の低いものを引き出させる。この状態を作り上げて、エージェンシーが正直であるほどエージェンシー自身が得をするように、しかしそれによってプリンシパルが手持ちの資産の価値の総和を大幅に引下げなくても済むようにしなくてはいけない。
実際、世の中のプリンシパルはエージェンシーを選ぶ際に、単純に能力や価格だけで選抜しているわけではない。エージェンシーの持つ価値観を調べ上げ、その価値観に合致し、エージェンシーの資産価値が上昇するように報酬を設定することで、エージェンシーの忠誠心を引き出している。これがエージェンシー理論のような問題が、現実の世界ではなかなか発生しない…とくに個別の取引において発生しにくい…理由だ。逆にそのような状態が作りにくい中古車市場などでは、エージェンシー理論通りの問題が発生する。


優れた経営者は「価値観の共有」を唱えたり、逆に現場主義を唱えて自ら社内の状態を調べ社員の意見を聞き出そうとする。これは社員ひとりひとりの価値観を調査し、また価値観を会社のそれと合致させることで、会社と社員の利害を「価値観レベルで」合致させようとしているからだ。また、会社として社員へ報酬を与える場合に、単に金銭的なものだけではなく休暇や仕事上のチャンスを与えるという形をとるのも、価格という形ではなく価値のレベルでの報酬を最大化しようとするからだ。このために、優れた経営者は社内というマーケットの調査を怠らない。

逆に無能な経営者は、この社内というマーケットの調査を怠る。何よりも自分から進んで調査しようという発想がない。
非常によくあるのが、オープンドア・ポリシーを誤って使うケースだ。
「俺はここにいる。ドアが開いている時はいつでもやってきて問題を伝えてくれ」
まぁ、確かに。常にドアを閉じているよりはましだが、これは雛が口を開けて「餌を頂戴」と叫んでいるのと同じ。しかし、そのような人に今自分が直面している問題を伝えたからと言って、それをどう使うのか? その経営者を信頼できる理由はなんだろう? 解決策が優れていると判断出来る理由はなんだろう? 過去に実績がないのに。
この人は、社員が抱える取引コストを
一切下げようとしていない
そんな人に相談をして、それが相談者に取って不利に扱われない、と考える理由はどこにもない。
積極的に問題を発見し、解決しようとしてくれる人ならば実績も存在する。そのような人がオープンドア・ポリシーを使っているならば、社員は積極的に相談に行くだろう。しかし、そうじゃない場合、オープンドア・ポリシーはただの自己満足に過ぎない。情報は何も集まらない。そして、この場合
情報が集まらないのは
最悪の情報
なのだ。


これで判ったと思うが、優れた経営者であるためには社員の、優れた上司であるためには部下の、ニーズを探り、問題点を発見し、社員を/部下をお客様として、彼らにとって自社で働くことの/自分の部下であることの価値を最大化しようとしなくてはいけない。
「あぁ、この会社で働いていてよかった」
「この人の下で働いていてよかった」
と思えるためには、相手の価値観を知らなくてはいけない。このために、Communication がとてつもなく重要になる。
そして、それは決して社員の/部下のためではない。彼らがあなたを裏切らないように、信頼できるエージェンシーとして使えるようにするために、必要な作業なのだ。


あと、一点、重要なポイントがある。よく優秀な経営者の実績を調査すると、彼らは仕事時間を
社内問題に20%
社外問題に80%
となるように使っている、という調査が出てくる。これを見て、
「やはり優れた経営者たるもの、自らが社外に出て営業して回らなくちゃな」
とか馬鹿を言い出す奴がいる。
それは原因と結果を取り違えている
優れた経営者は、自分の部下を十分に把握している。そのためにたっぷりと時間をかけて価値観を調べ、共有し、信頼されるべく実績を積み、それでも価値観が合致しないものは取り除く、と言うことをしてきた。
だから今、社内には20%の時間を掛けるだけでよいのだ
優れた経営者は、社内に問題が発生すれば 30% でも 40% でも100%でも時間をそちらに振り向ける。社外問題を解決しようとしている最中に、背中から撃たれるほど効率を下げ、やる気をくじくことはない。だから、まず先に味方を完璧に支配するのだ。
十分なコミュニケーションを取ることで、このような状態にすることは可能だし、優れた経営者の実績がそれが可能であることを示している。

2010年4月4日

新人じゃなくなった人は何を気にするべきか -5.1- 取引コスト

まずは取引コスト(Transaction Costs)から始めよう。

…何についてでもいいのだが…そうだな、たとえばパソコンについてちょっと考えてみて欲しい。
あなたはそろそろ新しいパソコンを買おうと考えている。どこのメーカーのどの機種にするか…

はい。ストップ。

今考えたメーカーは、今使っているメーカーと同じじゃないだろうか?
今考えたパソコン上で動いているOSは、今使っているものと同じ(あるいはその後継)じゃないだろうか?
なぜ、それらを選んだのでしょう?
OSはいまや沢山あるよね。普通の人がちょっと考えて出てくる選択肢だけでも、Windows7、MacOS X、Linux ぐらいはある。Windows上で作ってきたファイルはほぼ全て MacOS X や Linux 上でも使える。逆は若干苦しいが…特に MacOS X 上で動く Keynote のカッチョ良さに匹敵するものはないし…でも、Keynote を使いこなしまくる人以外は MacOS X である必要性はそんなに高くないはずだ。
合理的に考えれば、新しいパソコンで使うOSを何にするか、新規に一から検討をするべきだ。当然、そのOSに合わせてハードウェアを選択するべきだろう。
しかし、現実にはそのようなことをする人はほとんどいない。新しいOSは古いOSと同じか、その後継OSだし、ハードウェアも今使っているのと同じメーカーで、ほぼ確実に他のOSがサポートしている互換性とかは気にもしない。

車を買う時も同じだ。トヨタの車を最初に買うと、ほぼ確実にずっとトヨタ。マツダならマツダ。ホンダならホンダ。日産なら日産。メーカーを変えるのは外車に買い換える時か、なにか画期的なものが出てきたか(ハイブリッドカーとかね)、よほど車メーカーが酷い形で信頼を失った時ぐらいなものだ。

限定合理的な我々は、知らないメーカーや知らないOSについて知らない。文字通り、情報が不足している状態なのだ。しかし調査しようとするとコストが発生する。そのコストを払ってまで情報収集するべきか? それともコストを払わずに候補から外して真の最適からは程遠い状態になるリスクを取るか? この決断をしなくちゃいけない。もし、調査対象がこのコストに見あうほど品質に大きな差があるとは思えないならば、このコストは払うに値しない。
パソコンはどこでもハードウェアはインテルかAMDで演算パワーも大差なく、メモリ容量も似たようなもので、HDDのサイズも同じ。ならOSが多少違ってもできることは似たようなものだろう。天と地ほど違いはないなら、いちいち全部調べるに値するとは思えない。じゃぁ、今のままでいいや…
車はどこでも同じようなもんだろう? 燃費がリッターあたり2倍も違ったりするかい? 同じような値段で、同じような形の車なのに、運転のしやすさは変わらずに一方だけ空を飛べて今の後継だと飛べない、なんてことはないよな? じゃぁいいじゃん。今のままで…あ、ハイブリッド。そうね。じゃぁトヨタかホンダを候補に入れよう…

判るだろうか?見知らぬ候補は調査コストと言う名のハンデを持っているのだ。
『今と同じ(後継)』 >(価値) 『見知らぬ候補自身の価値』 - 『調査コスト』
という不等式が成り立つ限り、ほとんどの人は「今のままでいいや」「今の後継でいいや」となる。これを上回るほどの価値が「見知らぬ候補」側にはあるのだ、という事が事前に伝わっていなければ、そもそも検討の候補にすら上がらない。
ここの『調査コスト』のように、知らないモノに関して取引を行う場合は、知っているモノに関して取引を行う場合に比べてコストがかかる。これを 取引コスト と呼ぶ。

買い物をするなら、見知らぬ店より行きつけの店の方が良いのは、見知らぬ店の信頼度について新たに調査するコストを掛けたくないからだ。同じ値段で同じものを売っているように見えても、見知らぬ店の場合騙されているのかもしれないじゃないか。
だからこそ 贔屓 という概念が出てくるし、そのような贔屓を沢山作った店は、他店より微妙に高くても客が離れることはない。あまり高いと離れていくが。どれぐらい高くても大丈夫か…という辺りは ブランド力 と呼ばれる。ブランド力は、同業他社製品に対し取引コストを引き上げる効果がある。また、同一ブランドネームの他商品に対して取引コストを引き下げる効果もある。
多くの企業が広告を打つのは、自社を知ってもらい、自社製品を知ってもらうことで、取引コストを少しでも下げようとしているからだ。無限にコストを掛けるわけにはいかないから、どこにどうやってアプローチすればいいか? と考える必要が出る。これが マーケティング というものだ。


取引コストにはコミュニケーションがよく効く。取引コストとは無知であるが故に生じるコストだ。じゃぁ、自分のことを相手に伝えることで相手の自分に対する無知を軽減させ、相手の事を知ることで自分の相手に対する取引コストを下げればいいじゃないか。コミュニケーションのためのコストが掛かるが、「モノが売れないことで生じるコスト」だの「より良いサービスをより安く手に入れ損なうことで生じるコスト」の方が大抵の場合大きい。なによりも、その状態だと「価値としての損失」よりも「金額としての損失」が大きい。


「あなたが作っている/扱っている商品を買ってくれるお客様」という Customer の場合、こういう事が言える。

仮にあなたの作っている/扱っている商品が本当に良いもので、でも売れない。他社のもっと質の悪いものは売れているのに…というなら、
あぁ、これは取引コストが高いせいですね
と言えば、100% 正しい。とはいえ、これじゃ何も言っていないに等しいが。
  • あなたの会社名がお客様(あるいはお客様候補)に全く知られていない
  • あなたの会社が扱っている商品が何か全く知られていない
  • 商品が何をするものなのか知られていない
  • 自社内のニーズが見えておらず、商品の必要性が分からない
  • お客様のニーズが見えておらず、商品の方向性/宣伝の方向性がダメダメ
  • 商品を入手するための連絡先が判らない
  • 商品の説明カタログが、日本語じゃない
  • 商品のマニュアル類が日本語じゃない
  • そもそも必要なマニュアル類が無い事が露呈している
これらは全部お客様候補に取引コストを生じさせる。大抵の外資系企業が日本に来て「モノが売れない、非関税障壁だ」などと呻いている場合は、絶対これらの取引コストを引き下げようとする努力が 全くもって、丸っきり、全然、馬鹿かと言うぐらい 足りていない。IT業界の製品を考えただけでも、NEC, 日立, 東芝, 松下, 富士通 などが一般家電からPCから何からで常に名前を見ない日はない、という状態な所に割り込む必要があるのだ。どれほど売り込みが必要か…IBMぐらいだろう、取引コストが十分下がったのは。逆に富士通はエフサスとかPFUとか、無駄に取引コストをあげるブランディングを打ちすぎている。
逆に日本製品がアメリカとかで売れている場合というのは、これらの取引コストを引き下げるための努力がもの凄まじい。"you asked for it, you got it, Toyota," というキャッチフレーズなど、1976年にアメリカにおいてラジオを付けていると GM, Ford, Chrisler のCMの合計に匹敵するぐらい聞こえてきたことがあるぐらいだ。自動車を買うわけがない幼稚園児までがToyotaの名前を知っている、これぐらいじゃないと海外勢の取引コストは下がらない。
"YAMAHAはアメリカの会社だ"
と思い込んでいる人が過半数を占めるぐらい、現地に馴染まなくちゃ「会社を知られていない」という取引コストは下がらないのだ。

無知に伴なう心理的コストには恐ろしいものがある。これは特に日本において顕著な特徴だが
未知のバグより既知のバグ
という顧客傾向がある。
古いバージョンは「既知のバグ」が100個ある。それらは全て正体が判っている。新しいバージョンは「既知のバグ」は一個も無い。そんな怪しげなモノは使えるか。そう言って、既知のバグの多い古いバージョンのソフトウェアを使いたがるのだ。
ちょっと考えれば判るように、新しいバージョンでは古いバージョンにあった100個のバグは直っている。直したから、既知のバグが0になったのだ。もちろん未知のバグはあるだろう。しかし、それは古いバージョンだって同じなのだ。従って、ソフトウェアであれファームウェアであれ、fixそのものに大きな問題が無い事を確認したら、可及的速やかに新しい版に移るのが正しいあり方なのだが、そうしない。
「未知のバグ」と「既知のバグ」で前者の方が取引コストが大きい場合、「既知のバグがある方が安心できる」という状態に陥るのだ。え?未知のバグの数はわからないだろうって? いやいや。バグの総数から100個、既知のバグの分だけ未知なるものが減っているんですからそちらの方が安心ですよ、えぇ。
バグの総数は一定なんて誰が決めたっ
でも、総数が判らないのは一緒なんだから…と考えると、総数は同じのように感じるよね?ようするにある無知が、別の無知と既知のコスト差を逆転してみせることすらもある、と言うことだ。

取引コスト問題を解決するには、本質的には啓蒙とか宣伝とか…ようするに情報を与えるしか無い。だからセミナーとかをやっている会社は多いが…そもそも「よく分からない会社」のやっているセミナーに出たいと思う、あるいは時間を割くべきである、と考える人はいない。ここにも取引コストがいるのだ。いくらセミナーの案内に
「御社が抱える問題を解決するソリューションがここにある」
とか書かれてもねぇ、それを鵜呑みにするには殆どの人はすれているし、人生ですれていないほど学習能力のない人がセミナーに来ても何も学ばずに帰るのがオチだ。

新規顧客が持っている取引コストはこのように非常に高い。だから一度お客様になってくださった方がいたら、リピーターになってもらう方が良い。せっかく相手との取引コストが下がり始めたのだ。お客様が持っている不平・不満を聞き出し、煽り立て、うちの会社の製品がそれをいかにスマートに解決するか刷り込まなくてはいけない。状況によっては他社製品をお勧めする場合でも、その製品が良ければ良いほど、勧めた人の価値も一緒に上がるように、それによって結局取引コストが下がって自社に戻ってくるように、きめ細かくコンタクトを続けろ…営業マンがもっともハッパをかけられるのはここだし、優れた営業マンがやっているのも要するにこういう事だ。
優秀な営業ほど口下手で、自分から物を話す量は少なく、相手にたくさん話しをさせる、というのも実は同じこと。お客様はしゃべればしゃべるほど、営業マンに対する取引コストを引き下げてくれる。
「こんなに私のことを理解してくれてはるんやから」
いや、おばちゃん、あんたが独りでペラペラ喋くってるだけですがな。
逆に営業マンが喋くりすぎると、話に割って入りたいとか、よく解らん事を言われてだけど質問するのも恥ずかしいし(これも取引コストだ)…と、相手に対する心象が悪くなる。心象の悪いヤツに自分が困っている事を打ち明ける人はいないわけで…こうして取引コストは高いままになる。下手をすると最初より高くなったりすらする。

そうそう。はてなブックマークにコメントを書いている人がいたが、床屋は確かに良い例だ。
新規顧客が来たら、床屋は相手に関する情報を引き出そうと色々話しかけてくる。髪を切っている間は特にそうだ。しかし、シャンプー、髭剃りと進むに連れて徐々にしゃべる量が減る。
一見床屋話しているように見えるが、実は床屋は「お客様が話せない状態」では話しかけない。椅子が横倒しになって客が眠くなったら邪魔をしない。話せるときに話す、というのは取引コストを下げる。話せない時に話をさせないのも取引コストを下げる。
軽く居眠りをしてから髪型を整えると、ほぼすべての人はすっきりと快適になって床屋を出る。他の未知の床屋よりも取引コストが下がった状態になり、故に一度行ったことのある床屋は再び訪れる率が高い。
実際にはほとんどの床屋で同じことを経験することができるので、よほどひどい場合を除いて、どこへ行っても「その床屋との取引コストは下がる」のだが…そこでは「未知より既知」のルールが働く。全く同じなら、なにも未知の床屋にチャレンジしなくてもいいじゃん。既知の床屋の方が確実なんだから。
こうして はてブ にあった事を取り込む事自体も取引コストを下げるための方策だ (^^;)



さて、逆にあなたが材料を買ったり、サービスを買ったりする場合。

当然予測されることだけれど、情報収集を怠るな、というのは一つ目の大事なポイントになる。意図的に新規・未知の取引相手に対する取引コストを引き上げちゃいけない。
と、同時に。すでに取引のある相手との取引コストが下がるように働きかける必要がある。あなたが商売するうえでリピーター顧客が大事であるように、あなたがサービスだの材料だのを買う相手もリピーター顧客は大事なのだ。ちょっとしたアイディア…そう -3.3- off demand で書いた、ルンバを使う話とか…は積極的に相手に与えるべきだ。どうせ自分で抱えてても現金化できないんだから。
くだらない話かもしれない?うん、それは相手の営業はよく判っている。でもあなたを邪魔したりはしない。100本に1つぐらいは、どうにか使えるアイディアがあるのを営業マンは知っている。1万に1つぐらいになると、まじで商品化できるものがあるのも知っている。そうじゃないハズレの話であっても、少なくとも客(あなただね)の取引コストが下がる事を直感的に理解している。だから、そうそうムゲに無視したりはしない…というか聞く耳を持たないのは無能な営業マンの証だ。
万が一、本当に商品化したら?
「お客様に教えていただきまして」
「お客様にご意見をいただいて、二人三脚で開発いたしました」
100%自前で作ったとしてもそう言って売り出すはずだ。既存顧客を満足させ、また新規顧客に「他の人が欲しいと言うなら何かあるに違いない」と興味を湧かせる事で取引コストを下げるために。

で、だ。あなたの取引コストを下げている時に、実はあなたは
営業マンのあなたに対する取引コストを引き下げている
事に気がついているだろうか? 新規顧客へ飛び込み営業するのがすごく苦痛な営業マンは多い。それは「営業マン側にも取引コストがある」からだ。どうせ取引をするなら「飛び込みが苦手そうな営業マンが飛び込み営業をかけてきたとき」にするのが良い、と言うことが判る。営業マン側の取引コストを上手に下げてやれば、その営業マンは他の新規顧客に飛び込み営業をする必要性が減る。少々の無理を聞くコストと、新規顧客に対する取引コスト、どちらが安いか…
もちろん、その際にさらに相手の口車に乗ってしまって、結局自分の出費の方が大きくなっちゃった…というのでは全然意味がないが…。



さて。物やサービスを「売る側」「買う側」がはっきりしているこれら2つは、とても判りやすい対称形なので、単純に取引コストだけを考慮してもいろいろ言えることがある。ところが会社と社員のような形になると、この取引コストがものすごくいびつな形で現れることがある。エージェンシー理論の中には取引コストの一形態、あるいはミクロなレベルでの取引コスト理論が積み上がってマクロレベルでの問題として発現しているものがある。

そこで、会社と社員の取引コスト問題は、エージェンシー理論の方でまとめて書く。


そうそう。取引コストについて述べる時にはこの本を紹介するんだった。「あなたの会社が90日で儲かる!」。この本の中身は玉石混交ではっきり言って自分で何を言っているのか判ってかいているとは思えない内容なのだが、当然玉の部分がある。それは、広告を打つときの姿勢。この本に書いてあることを書き換えるとこうなる。

広告は、商品を買ってくれることが確定している人をターゲットに打つのではなく、何らかの理由で取引コストが高くなっている人にもアプローチするように打て。そのためにも、「これを買え」的な広告ではなく、「情報を提供する」とか「サンプルを渡す」とか、そういう形のアプローチを取れ。
商品を買おうとする人にとって、取引コストには大雑把に「必要性の不足」と「魅力の不足」の形で発現する。

「面白い商品だけれど、それは今必要なわけじゃない」…これが必要性の不足。
「必要なのはわかるけど、もうちょっと待てばもっと良いもの/安いものが出てくるかもしれない」…これが魅力の不足。

両方共不足している場合は、買ってくれる確率はとても低い。でも片方だけならどうにかなるかもしれない。そこで、まず広告を打つ。両方共満たされているお客様は即座に買ってくれるだろうが、片方が不足しているようなお客様でも何らかの反応を示すように、広告を打つ。
で、このような「片方が不足していそうなお客様」に対して営業マンをアプローチさせる。最初から取引コストがある程度低い人な上に、ある程度コミュニケーションを取ればどちらが不足しているのかは明瞭になる。そこを集中して攻めさせれば、成約率は高くなる。そうなれば営業マン一人当たりの効率も良くなる。
この本には、広告の見てくれだとか、お願いする形で文章を書けとか、本質とは全く関係ない内容が大事そうに書かれている。そういう「石」な部分を取り除くと、「取引コストに注目しろ」という非常に正しい本質が出てくる。