2010年9月18日

札幌へ行ってきた -2-

明けて二日目。二日酔い。当たり前ですな。

視界がぼけています…
いえ、頭がぼけててフォーカスが合っているかどうかの
チェックを怠っただけです。

とりあえず、札幌駅のコインロッカーに荷物をおいて、再び南口から出ると…

雨~~~
It's a rainy blue, it's a rainy blue
ゆれる心 ぬらす涙

はっ、そうじゃなくて。


こんな感じのところに行ってみました。

えぇ、ここ。
有名な「北海道庁旧本庁舎 (赤れんが庁舎)
しかし、二日酔いの頭にはよく判らず

南側の池では、蓮が咲いていました。
うーん。とはいえ、手持ちのカメラではめいっぱい寄ってもこのレベル。
ちっ、もう一グレード上のカメラも持ってくればよかった。
一泊二日の荷物とは思えない重さになったかもしれないが…

季節的にはもう外れなので、ほとんどの花は泥中に沈んだあとなのでしょう。


で、今度は南東の方に移動。
それにしても道が広い。車線も広いが、
車線の外が広い = 路肩がゆったりととられている。
運転しやすそうだ


さて、次の観光はここ。
そう。時計台。

なんというか…さすがは
日本一残念な名所
と言われるだけのことはある。
何がどうすごいのやらさっぱり。

こう…パッと見ても微妙に花がないというかなんというか…
むしろ、観光中のお姉さんのほうが花があるというか。

あぁ、そういえば。お馬さんがいました。
これは何度か出会って、そのたびに撮影をトライした中で最もできが良かったもの。
つーか、それ以外はボケてたり、断ち切れてたり…
orz


そうこうしているうちに、酒が抜けてきたのでご飯。
ゆで卵に店名が書いてあります。で、Google Map で引けばどこら辺にあるのかは判るというもの。

んー、ラーメン自体の味は…普通。
コレといってすげぇ、というわけではありません。
ただ、餃子のタレに
味噌ダレ
があるのを発見して慌てて、餃子を追加。
こちらは、私の好みでした。

で、あとは適当にブラブラしてから帰りましたとさ。

つーか帰りの新千歳空港がひどい状態だったのだが、
ひどすぎてカメラを向ける気になれず。

あと、セキュリティーを通ると、
その先にはろくにご飯が食べられる場所がない。
ちょっと想定外。
結局その日は晩ご飯を食べ損ないましたとさ。

札幌へ行ってきた -1-

出張です。札幌まで行ってきました。初北海道です。ヒャッホ~~~

行きはAirDoとの共同運航便です。

すでに遅れが確定しています orz


着きました。

あ、いえ。この機体に乗ったのではありません。

でも見てください。飛行機から降りたら、いきなり地平線攻撃です。
つーか、着陸段階で外を見ると、まーーーーーーーーっすぐな道路がゴロゴロと。鉄道もまーーーーーーっすぐ。
うおーーー、どこのオレゴン州じゃ
と思いましたよ。


おっと。証拠、証拠。
新千歳空港から、札幌駅までの切符です。

で、札幌駅を降りて北口から出たら、これです。札幌、恐るべし。
もしかして、お笑いの街として大阪と覇を争うつもりか?!

お仕事終了。
翼よ、これがすすきのの灯だ。
とりあえず、お仕事先の方に一席設けていただきました。
ありがとうございました。

北海道、旨すぎです。
素晴らしすぐる。秋葉原と神保町を北海道に移植することを、真剣に考えるべきだな、これは。
そう。国連事業として。
とにかくそのようにして、17日は過ぎていったのでした…。正確には18日にかかってましたが。

2010年8月1日

新人じゃなくなった人は何を気にするべきか -8- まとめ

というわけで、まとめ。

ようするに、新人じゃなくなっても意識しなくちゃいけないことが CS と AT であることに変わりはない。
ただ、より幅広い範囲に渡る権限を持ち、その分収益に対しても部下に対しても責任を持たなくちゃいけないので Customer Satisfaction 側がよりヘビーになる。しかもその中から利益を得なくちゃいけない。

利益は売上からコストを引いたもの。なのでコストが増大する組織拡大は極力抑えなくちゃいけない。そのためには Automation が大事になる。逆にいうと Automation として何が出来るのか、先に手持ちの武器を確認しなくちゃいけない。また、組織を運営する場合も、その人達がほうっておくと何をしでかすのかをきちんと見抜かなくちゃいけない。ルールを多用した運用はほぼ確実に監視のためのコストが莫大になり失敗する。可能な限り司法と行政の等価交換則を利用して、放っておいても目的通りになる、ことを目指さなくちゃいけない。

売上を上げるには、人間が持つ限定合理性から来る壁をいくつも突破しなくちゃいけない。取引コスト、プリンシパル・エージェント問題の2つをちゃんとおさえなくちゃいけない。
また、組織を運営する上でどうしても発生する問題については、所有権問題をちゃんと意識しなくちゃいけない。

最後にターゲットとするべきマーケットは上質/手軽さのどちらにするのか、I18NとL10Nのどちらにフォーカスするのか、これが重要になる。どちらにフォーカスを当ててもよいが、徹底するのが重要になる。中間には何も無い。


まーね。
言うは易しなのはその通りだけどね
でも、この程度すら
ほとんどの人は知らない
そしてこの程度で解決することすら
解決できないでいるんだから

2010年7月10日

新人じゃなくなった人は何を気にするべきか -7- I18N/L10N

I18N: Internationalization (国際化)
L10N: Localization (地域化)

グローバライゼーション(Globalization/G11N) が叫ばれて久しい。世界は平らだとかいう本も出てるよね。
でも、本当にそうなんだろうか? 日本の市場と、韓国の市場と、アメリカの市場と、ポルトガルの市場と、ロシアの市場と、南アフリカの市場は同じ性質を持っていて、単にお金持ち度が違うだけなんだろうか?
言葉の違いもある。うん、それもあるよね。でもそれだけ? もっと根本的に 同じに扱っちゃ駄目 なポイントがあったりしないだろうか。

「もちろんあるとも。それについて書かれた本も」

そう。国や地方ごとに条件は違う。食生活が違うのに冷蔵庫に求める機能が同じなわけがない。

例えば日本とアメリカでは、製品に対する品質要求がぜんぜん違う。
アメリカでは、製品が壊れるのは大きな問題ではない。製品が壊れたときに直せないのが問題だ。ものを買った場所から自宅までの距離は、時には車で2時間以上もかかる(それも100miles/hour=161km/hourで)。壊れたときに修理にだしてから直って帰ってくるまでの時間も長いし、その間の代替物がない事が問題だ。だから、壊れたことそのものよりも、すぐ直せないことを問題視する。自分で直せるなら、あるいはリセットボタンを押せばそれで済むなら、問題ではないのだ。
逆に日本では、製品が壊れることを問題視する。
一つには大昔、アメリカで「日本製」が「安かろう=悪かろう」の代名詞としてさんざん叩かれた頃のトラウマが未だに残っている事があげられる。日本製品を日本に送り返して直していたのでは、数日では直らない。かといって日本製品を普通のアメリカ人が大雑把に叩けば、トドメを刺すだけだ。だから、日本製の壊れる = それっきりを意味したのだ。だから壊れるのは悪。
もうひとつは、日本という国の地理的な条件がある。日本は古典的に「街の電気屋さん」のように住んでいる場所に密着した形で小売店が存在する。何かが故障した場合、修理はもちろん、取替え、修理から返ってくるまでの間のスペアの手配等、全てこの「密着した小売店」が何とかしてくれる。だから、修理して再び使えるようになるのは当たり前。ただし、この「密着した小売店」がサポートのために支払わなくてはいけないコストがバカにならない。小さなエリアで小規模でしか売れないのに、売った後に高いコストを払わされるのではたまったものではない。だから壊れちゃいけない。

だから、大きく見ると世界中どこでも売れるように感じる商品も、その地域に持って行ってみるとニーズが微妙に違う。それぞれに合わせた作り込みをしないと、その地域で同じようなものを作り、売っているメーカーに勝てない。すると、グローバライゼーションはコストがかかるばかりで、全然売上に貢献してくれない。ゲマワットさんの本には「商品の売上はHQからの距離に反比例する」例をあげているぐらいだ。

でも、全部が全部そうじゃない。例えば Intel の CPU。世界中どこに行っても同じものだよね。アフリカ版と日本版とアメリカ版で消費電力が違ったり、演算能力が違ったりはしない。こういうパーツ…とくにすでにデファクト・スタンダード化が済んでいる製品は世界中どこへ行っても同じだ。
でもデスクトップPCになると日本やアジアでは小さめのデスクトップの売れ行きが良い。アメリカではタワーと呼ばれるデカいやつの方が売れてる。ノートPCも、アジアではキーの小さい奴が売れるが、アメリカではキーの小さい奴はあまり売れない。ところが、たまに例外もあって、ネットブックはどこでも売れた。ただし、OSはアメリカだとLinuxでよかったのが、日本では Windows を入れなくちゃいけなかった。

この違いはどこから来るんだろう? どうやって回避すればいいんだろう?
多分、同じことは「地方」単位でもあるはずだ。北海道と沖縄ではニーズが違うだろう。愛媛と新潟も違うはずだ。山形と東京だって違うだろう。逆に東京と神奈川、千葉辺りはニーズが似ているに違いない。
アイダホ州とニューヨーク州は違うニーズを持っているだろう。ニュージャージー州とカリフォルニア州も違うに違いない。ニューメキシコ州のように暑い所と、アラスカ州のように寒いところも違う。
どうやってそれぞれに合わせればいい? それには何を気にしてデザインすればいい??



Customer Satisfaction に関する最後の項目は I18N/L10N だ。
ただし、ここでいう I18N/L10N は単に「国単位」とか「文化単位」に限定しない。究極的には「個人単位」とか「購買する度」で微妙に変化するニーズや、それに対応する事を意識する、という話。
これは Focus の話だ。ただし、Focus は「一人のお客様に対して」の話だった。

これが Focus の話と判れば、 同じ と分類されるものであっても、世界中の地域ごとにエンドユーザーのニーズは微妙に異なることも判るだろう。このため、完全に1種類だけの製品を作って、それを世界中に販売展開すれば全顧客のニーズを満足できる…とした Globalization は幻想に過ぎない。

この問題を回避する最終的な戦略はただ1つ。Internationalization (I18N) / Localization (L10N) を組み合わせる以外、手はない。ようするに製品の大枠を I18N で定め、最終的な地域単位/顧客単位でのチューニングを L10N で行う。
  • L10Nの範囲が本当の意味で「地域」なのか、「個別顧客」なのか?
  • どれぐらいをI18Nで共通化し、どのぐらいを L10N で個別対応にするのか?
  • どこを I18Nで共通化するのか? (部品なのか、材料なのか、それとも加工技術/ノウハウ/職人の技と言われるものなのか?) どこを L10Nにするのか? (組み立てた製品なのか、皮から切りだして製品を作る部分なのか、オーダーメイドなのか)
これらを組み合わせ、コスト/商品価格と顧客満足のバランスするポイントを見つける。これは Focus がどこにあったお客様がどれぐらいの数 存在するのか、という問題だ。Focus の逆問題だね。



I18Nの部分を大きく取り、L10Nの部分を小さく取る。部品以上のものを提供しない。世界中で同じものを売る…という戦略で成功している好例が Intel の CPU x86 シリーズだろう。世界中どこでも同じ製品しか供給しないが、それが許されるのは「部品」だからだ。国ごとに好みの色をパッケージングに塗る、なんぞというサービスは一切しない。そのようなエンドユーザーの好みに合わせたチューニングは、CPUを利用した製品を作る側の自由であり、チューニングに伴うリスクテイクも、それによる利益幅の増大も、CPUを使って最終製品を作る側の問題だ。Intelはあくまでも部品を提供する所に留まることで、スケールメリットを得る。

逆に I18N の部分はほぼ外部から部品を買取り、L10Nだけで勝負する方法もある。これはサービス業の多くがそうだ。オーダーメイドのスーツを売る店は、布地まで自前で作ったりはしない。あくまでもそれをどう裁断するか、どう縫い合わせるかを、顧客のニーズ単位で実装することで高い満足を売っている。
喫茶店もそうだな。顧客の細かい要求(もしあれば、だが)に答えたものを提供し、時間と空間を提供することで、高い満足を売っている。同じようなパターンに床屋も入れられるだろう。

L10Nが高いものは、地域密着性が高い。たとえばあなたが東京都に住んでいるとして、沖縄の床屋が1000円だとしてもわざわざ髪を切りに沖縄に行く人はそうそう多くはないだろう。でもQBハウスのように1000円でカットしてくれる床屋ならば行くかもしれない。移動コストのようにサービスを受けるまでの潜在コストが高い場合、市場サイズがグローバルにならない。その場合、その狭い地域にチューンしたサービスが競争基準になる。時にはそれがとんでもないガラパゴスなサービスへと進化してしまう場合もある。


別の言い方をしよう。もしあなたが売れる商品を作りたいと思ったら、世界中向けには「部品」を作るのがよい、ということだ。例えば冷蔵庫について考えているなら、ヒートポンプとか断熱材とか。で、各地域でその部品を組み立てて、その地域のニーズに合致した冷蔵庫に仕立て上げる。

「部品」と言うと語弊があるかもしれないな。たとえば車。車は世界中どこへ売る場合でも「ほとんど」違わない。ただし、右ハンドル・左ハンドルのようにオプションが変更できる。販売国の法律に合わせてハンドルをどちら側につけるのかはカスタマイズ可能なわけだ。この場合 L10N のために部品を交換しているだけで車としてはほとんど完成品なのだが、こういう場合も「部品」と考えよう。
実際、車は想像以上に多くのカスタマイズポイントを持っている。例えばウィンドウウォッシャー液。日本ではウォッシャー液のメーターなんか運転席についてない。ところがアメリカにはある。日本は法定点検がやかましいので、定期的に販売店や車検屋にチェックをお願いする。するとウォッシャー液とかはちゃんと補充してくれる。アメリカはそんなものはないので「空になったらユーザーが補充する」事になる。が、ウォッシャー液なんてめったに気にしない。このため、運転席にはウォッシャー液のメーターがあるのだ。


例えば…そうだな。Storageとか。この場合国によって何が監視できるべきか、どうなったらどう報告するべきか、違う。例えばアメリカで多いのは、HDD を Active の他にスペア Standby を用意して、Standby に切り替わったら、その次の定例メンテナンスの時に新しくパーツを補充する。
しかし日本だと
「Standby がもうないぞ、どうしてくれるんだ、早くパーツを補充しろ、壊れた原因をさぐれっ」
と大騒ぎになる。いや、HDDは壊れるもんですってば。こういう客が多いので、日本の場合は、Active/Standby/Standby 構成にするのがよい。で、Active が壊れたら Standby1号 に切り替える。で次の定例でパーツ補充するが、Standby2号がまだいるのでお客様も騒がない、と言うわけ。こういう多重 Standby ができる構造にできるよう、柔軟なカスタマイズが出来るようにできるべきなのだ。I18Nの段階ではこのように、国ごとのお客様特徴に適用できるようにカスタマイズしやすく作っておく。で、各国で L10N を施すときに、きっちり作り込む。

こう考えると判るだろうが、I18N 用の開発部隊の他に、L10N 用の開発部隊を各国に用意するべきなのだ…いや、「国」単位じゃなく「文化」単位で構わないが。逆に言うと「文化」単位での開発部隊を持たないメーカーというのは I18N ではなく G11N と称して、どこか一国(たいていはアメリカとかヨーロッパ)にチューンしてしまっているため、他の国に売るのはいいがその後、その国のサポート部隊が悲鳴をあげることになる。こういうメーカーやベンダーの製品は避けたほうが無難だ。


「上質」と「手軽さ」という分類の仕方もある。これはケビン・メイニーが「トレードオフ」という本の中で紹介している分類の仕方だ。



上質であるとは、お客様一人ひとりに対するチューニングのレベルが高く、快適さが高い。値段も高いがそれでもこの商品を選ぶ、という事自体が一種のステータスにつながる(「トレードオフ」ではこれを「オーラ」と呼んでいる。ブランド力の一種だ)。L10Nの割合が高く、その分お客様ひとりひとりのニーズにきっちり合わせることができる。
この場合 L10N として提供している商品そのものが、買ったお客様のキャラクター(なにに強いのか)を宣伝している。技術力が高い(iPadとか iPhoneとか)、選美眼が高い(ティファニー)、品質に拘る(グッチ)…そしてもちろん、これらに共通して「金持ち」というのもある。お客様はそれらを使うことで、自分のアイデンティティを宣伝しても居るわけだ。

一方手軽であるとは、お客様ひとりひとりに対するチューニングは殆ど行わない。商品がお客様に合わせるのではない。お客様が商品に合わせるのだ。あるいは、「商品をお客様に合わせるための商品」というものが別にあって、値段が高いほど利便性が高くなる。しかし、その商品が提供する機能は便利すぎて、それがなかった世界など考えられない。電子レンジ、冷蔵庫、ガスコンロ、室内照明、携帯電話、鍋、テレビ、ラジオ、インターネット、Windows、マクドナルド…どれ一つとしてあなたのために造られ、あなた用にチューンされたものは存在しないが、これらなしの生活はもはや考えられない。
このような商品は I18N の部分がその商品の性質のほとんどを決定する。L10N の部分…電源を100Vにするか120Vにするか220Vに対応させるか…表示する文字を日本語にするか英語にするか韓国語にするか…などの部分は確かに違いとして存在するし、そこに掛かっているコストは決して安くはないかもしれないが、そこに高い付加価値を見出してくれるお客様はほとんどいない。Windows7 の英語版と日本語版では明らかに日本語版の方がメッセージ等の翻訳コストがかかっているが、だからといって日本語版の方が20%高い値段で売っている…などとなったら、日本の顧客は買ってくれないだろう。これは、Windows7が「手軽さ」を…ひいては「どこにでもある」事を目標として作られた商品であることを示している。ビル・ゲイツが立てた Microsoft の目標「PC everywhere, MS product everywhere」は変わっていないのだ。

ケビン・メイニーによると、「上質」と「手軽さ」は相反する性質を持つという。「上質」という性質は「選民性をもつ」という意味でもある。「手軽さ」は「選民性を持たない」という意味だ。誰でも手に入れられるものは、それを使っていても「使っている人のアイデンティティ」など宣伝してくれない。故に「手軽さ」と「上質さ」を同時に目指そうとするとどちらつかずになり、「上質」を選ぶ人からは捨てられ、「手軽さ」を選ぶ人からは「高すぎる」とそっぽを向かれる。スターバックスがまさにその状態に陥った。ティファニーもそれに近い状態に陥り、慌てて戦略を変更している(だからティファニーのネックレスを持っているティーンエイジャーはもういないでしょう?)。
しかし、多くの企業がここを間違える。それは(AOL元副社長の)テッド・レオンシスが表現したように、「上質」と「手軽さ」を「愛される」と「必要とされる」のように表現を置き換えて理解してしまうからだ。確かに「上質」なものは「愛される」と表現するしか無いぐらい、お客様から多くのリソースを投資してもらえる。「手軽」なものは「必要とされる」と表現するしか無いぐらい、誰も彼もが入手する。しかし、「愛されて・必要とされる」という表現だと存在し得るように聞こえる商品は、実際には「上質でもなく、手軽でもない」というどっちつかずに成り下がる。

だから「上質」を選ぶなら「上質を突き詰める」べきだ、とケビン・メイニーは言う。逆に「手軽さ」を選ぶなら、「手軽さを突き詰める」べきだと。そのどちらかを行えば、ライバルを遥か彼方に引き離すことができ、その市場を席巻することができる。

逆に、市場が「上質」か「手軽さ」のどちらかに偏っている場合、もう一方側に大きな市場が眠っている、ともケビン・メイニーは言う。
たとえば大学。大学は単にモノを教える場ではない。大学の生活、友人との連帯感、大学祭、試験やレポートの地獄…これら全体で「上質な体験」(もちろん、この場合は「快適な」という意味ではない)を与える事にフォーカスしている。
これに対する「手軽さ」のマーケットはまだほとんど開拓されていない、という。うーん、本とかがそれに相当するんじゃないか、という気がするが…。でも、確かにそのような専門書は本質的に入手が難しいし、パッと開いても普通の書物とのギャップが酷過ぎる。もっと分量があって、その代わりもっと判りやすい解説書があってしかるべきだろう。



…ようするに I18N と L10N はどちらを優先するべき、というものはない、ということだ。
ただし、一方に徹底しろ、中途半端が一番良くない。お客様は I18N に偏った端と、L10N に偏った端にいる。真ん中にはだれもいないぞ、と。

あなたの会社は、あなたの部署は、この事を意識しているだろうか?
商品開発の段階では I18N を徹底しており「手軽さ」の境地に居るはずの商品なのに、実際には品質が低くサポートへの負担が高く L10N でヒーコラとカバーしてたりしないだろうか?
あるいは L10N を徹底して「上質」が売りなのに、自由度が低くてお客様からみると I18N の極みのような商品で、なおかつ値段だけは高かったりしないだろうか?


逆の視点から見てみよう。
よく「グループ企業内コンサルテーション」というものをやりたがる人達がいる。例えば Linux に関する知識をグループ企業内で共有して、全体のコストダウンとスキルアップを図る、なんて奴だ。一見素晴らしいお題目に見える。でも I18N と L10N の視点からすれば、これほど駄目な発想もない。実際、大抵の場合、この手の目論見は大失敗する。「失敗じゃない」と言い張る連中は大勢いるが、誰がどう見ても失敗、と言う状態に陥るのだ。

「グループ企業内」ということは、コスト的には最低限で済ませたい、という意識がありありとある。でも、じゃぁ、グループ企業内部で欠落しているのは「グループ内部で共通している部分」だけだろうか? 誰もが知っていなくちゃいけない部分すら知らない奴が、どうしてその先にある「自分たちのお客様のための L10N サービスのために別途知らなくちゃいけない知識」を持っていると??
結果としてこのようなコンサルテーションを利用する人達は「コストは I18N クラスで、要望は L10N の極みを」という無茶苦茶な事を言うことになる…というかそういう事を言ってテンとして恥じない連中、別の言い方をすると「グループ会社全体としてのコスト意識」が欠落した「自分だけよければ後は野となれ山となれ」的な発想しかしない連中ばかりがたかってくるのだ。そう「新人じゃなくなった人は何を気にするべきか -5.2- エージェンシー」で説明した「モラル・ハザード」と「逆淘汰」の世界に突入する。

グループ企業内のコンサルタントを行ないたいならば、まず I18N にフォーカスするのか、L10N にフォーカスするのかを決めるべきだ。
手軽なものならば「コンサルタント」ではなく「情報提供」に徹する。情報をまとめてイントラネットの Web に掲載し、検索エンジンを立てて検索しやすくする。さらに社内の別の検索エンジンと協力して「相互に」検索できるようにする事で誰からも発見されやすくする。しかし「問い合わせ」のような個別案件には一切かかわらない。その代わり固定費だけで抑える。
上質なものにするならば「コンサルタント」でいいだろう。ただし、要求するコストは社外コンサルタントと同じかそれ以上のコストにするべきだ。値段が高い分は「社内の、より信頼できるリソース」という付加価値を主張する。その上でその顧客専用に Focus を当てた対応をするのだ。L10N の極みを提供する。
このどちらかだけが正解で、その間の中途半端なところには、客が居ないか、売上が伸びるほど赤字になる地獄か、どちらかしか存在しない。



上質を極めようとすると、どうしても人手がかかる。このまま巨大になろうとすると、「-3- Scalable Organization」で述べたように組織を維持するためのコストが増大し、破綻してしまう。だから
上質を極めたければ
絶対客数を増やしちゃ駄目だ
同じお客様になんどもリピートしてもらうようにし、そのお客様のあらゆるニーズをカバーするようになるのはよいが、お客様の絶対数を増やそうと考えてはいけない

手軽さを極めようとするなら、
お客様の絶対数がいくら増えても
組織が大きくしない
方法をを考えなくちゃいけない。あらゆる自動化を駆使して、お客様一人当たりのコストを下げることを考えつづけなくちゃいけない。



最後に。この手の状態にあると必ずクレーマーが一定の割合で発生する。手軽さを極めようとしているのに上質を求めたり、上質を極めようとしているのに手軽さを求めたり。
そういう客は切れっ!
情け容赦なく、切り捨てろっっ!!
大丈夫。問題はない。
手軽さを極めようとしているなら、お客様は他に大勢いるはずだ。そしてそれらのお客様は「手軽さ」を気に入っているのだ。何千人ものお客様の中から一人減ったところでそもそも利益幅が薄いのだからほとんど影響はない。むしろその客を特別扱いしているのを見せつけられ、不快感を感じたために二度とこなくなる「大勢」が発生する方がよほど被害が大きい。
上質を極めようとしている店で値切るような客は、その店の品位を下げる。製品がまとっているオーラを曇らせる。下品な客が製品を使ったためにくすんでしまったオーラを復活させるのは至難の業だ。

判ると思うがこのようなクレーマーは大抵「上質と手軽さの中間点」にあなたを追い込もうとする圧力の一つだ。この一点を考えただけでも、クレーマーは切捨てるべきだ、と判るだろう。
クレーマーは客じゃない
これは、他のなによりも Focus から演繹される話なのだ。

2010年5月23日

新人じゃなくなった人は何を気にするべきか -6- Announcement

さて。次は Announcement についての話だ。

…え? 所有権問題はどこへ行ったかって?
うむ。実は Announcement は所有権問題を解決するために必要なのだ。

そもそも、Annoucement というのは Communication の特殊ケースである。Communicationが双方向通信なら Annoucementは単方向通信。
会社の偉い人が
「これからわが社はこれこれ、こうするぞーーーー」
と社内に宣言するのも Announcement なら、社外に向けて
「新商品 wxy 新登場!! 従来にない操作感と、やまだかつてない噛み心地をあなたにっ!!」
と宣伝するのも Announcement だ(…操作感と噛み心地がありえる商品が何なのか、に関しては聞かれても答えるつもりはないのでそのつもりで…なんだろうなぁ)。

「運は天にあり。鎧は胸にあり。手柄は足にあり」
という上杉謙信の名台詞をご存知な方もいるだろう。あれも Announcement だ。


しかし、会社においてもっとも重要な Annoucement は、そしてその重要性が軽ろんじられており、故に大抵の無能な上司がやらない Annoucement は、こういう形式のものだ:

「この度、xxxxというプロジェクトを新規に立ち上げることになった。
このプロジェクトの存在意義は これこれ こういうことだ。
プロジェクトの責任者として yyyy 君を任命した。
いろいろあるだろうが、どうか皆、yyyy君を支援して欲しい。よろしく頼む」

さて。なぜこの Announcement はそんなに重要なのか? 無能な上司が…特に取引コストについても、エージェンシー問題についても、丸っきり理解していないことを態度で示している無能な輩が… Announcement についても間違っている、となる その限定合理性が示している問題とは何か? これを理解してもらうために、ここからしばらく、「所有権問題」について説明しよう。

所有権問題は、すでに述べたように限定合理性に伴って発生する3種類の問題の1つだ。
前の二つはそれぞれこう:
取引コスト問題:
取引する人全員が同じように影響を受ける問題。ようするに取引をする人達同士の間で対称形になっている。
エージェンシー問題:
取引をする人達が非対称形になっている。

なら、最後の1パターンは? もちろん
所有権問題:
取引をするはずの片方が居ない/所有していることを意識していない/全員が所有者で意思決定ができない
たとえば、大気汚染を考えてみよう。ある企業が有害物質を大気中にまき散らした。そのために大気汚染が起こった。人間は皆、空気がないと生きていけないし、汚れた空気だと健康を害する。だから怒る。

…でも待って。じゃぁ、この企業はどうすればよかったと? 誰に許可を貰えば有害物質をまき散らしても良くなるのだろう? あるいは
「それは有害物質だから撒き散らしちゃ駄目」(有害物質だと判っていたとして)
不許可を言明できる 大気の持ち主 って誰だろう??

我々は皆、空気を吸っているよね。正確には酸素を吸い込んで二酸化炭素とかを吐き出している。他にもアンモニア等、微量成分を色々吐き出していて、ある意味我々は全員大気汚染をしているとも言える。これは誰が許しているの?
体が大きい人は、体が小さい人よりも大気の汚染量が大きいよね? それは許してる(誰が許しているんだか知らないが)。企業は ものすごく体が大きい人 と同じ扱いをされちゃいけないの??
現実問題として、多くの人は自動車に乗ったりバイクに乗ったりしているよね。これも大気汚染を引き起こすよね? 光化学スモッグなんか典型的に自動車の排気ガスが主原因だと判ってる。これが OK なのはなぜ??

なんとなくみんなのものだと思っているが、いざ特別な使い方をしようとすると、誰に許可を得たらいいのか判らない。逆にどこまでが特別な使い方なのかもよく判らない。決定権を持っている人が居ない。所有権を持っているのだかもっていないんだかよく判らない。そういうものについて、何かしようとすると、一種のデッドロック状態が発生して話が前に進まなくなる。これが所有権問題。古典的には「共有地問題」として知られていた。

みんなの財産。共有財産。でも、それは誰のものでもない。だから誰かがその財産を枯渇するまで消費してしまっても気がつかない。止められない。それ以前にそれは止めていいことなのか?止める権利があることなのか?
「必要な者が必要なだけ消費する」
というルールは共有財産自身が自動で生産する能力の範囲内であればうまくいく。でも共有財産自身の生産能力を上回ったら破綻する。

逆もある。たとえば里山問題。
大昔、人は田んぼと同じ面積だけ里山を必要としていた。里山は人が手入れをする。木の実だのなんだのも手に入るが、一番大事な生産物は里山から得られる有機肥料。これを田んぼにまく事で生産性を上げていた。
でも化学肥料の発達のおかげで、里山は要らなくなった。誰もメンテナンスしなくなったので、里山は荒廃し、もはや昔のような有機肥料などの生産能力も失われた。保水力もなくなり、洪水の遠因にもなっている。
人が共同で管理しているからうまく動いていたシステム。誰も管理しなくなったら壊れてしまった…里山は誰のもの? 誰が管理「する義務があった」の? サボったのは誰??

このように、「そこにあるが、誰のものでもない。でも全員のものである」ようなリソース。そのようなものに対する、消費権利、管理コスト支払い義務は、かなり難しい解決不能な問題だ。何しろ調停するべき片方がいないのだから。



実は、この所有権問題。リソースだけが対象じゃない。問題も所有権問題の対象になり得るのだ。

は?何言ってんの

在日米軍基地問題とかを考えてみて欲しい。

「負担を沖縄にばかり求めるのはよくない」
うん。皆これには賛成するよね。
「じゃ、申し訳ないけど、あなたの家の隣に米軍基地が越してきます。騒音とか排気とかひどいことになるけど、許してね」
まてぇええええええっっ!!! そんなことを OK した覚えはないっっ!!!
「だって『負担を沖縄にばかり求めるな』っていうのに賛成したじゃん」
同じぐらい、俺にばかり求めるな、というのにも賛成するわいっっ!!!
米軍基地移設問題が何時まで経っても解決しないのは、この「総論賛成・各論反対」のせいだ。

総論賛成
各論反対

これも所有権問題なのだ。もうちょっと別の言い方をすると
それは全員の問題である
私だけの問題ではない

故に、全員で均等に発生する負担には従うが
私に集中的に負担が発生するのは許容しない
これはようするに、「問題の所有者が不明瞭」なために、全員がその問題の所有者であることを放棄し、その問題に対して他の人よりも多くの負担を求められることを拒否するがゆえに、問題解決が前に進まなくなる。デッドロックする。



会社のような組織において、問題点がどこにあるのかを探すのは簡単だ。また、それが問題であることを経営陣に納得させるのも比較的簡単だ。しかし、解決しようとすると突如として難しくなる。俗に「関係各位」と言われる連中から、大量の横槍が入るのだ。

「コスト削減が必要です」
うん、そうだそうだ。うちの会社は売上に対して利益率が低すぎる。

「コストの内訳を調査したところ、開発部が使っているPCの台数が多すぎることが判りました。
一人当たり3台ある計算になります。これを一人2台に減らしましょう。
電気代も節約できますし、中古品を売れば現金になります。」
いや待て。うちの部隊はそもそも開発をやっていてだな。計算機が3台無いとまわらんのだ。1台はOA用に必要で、これはIT部隊が要求するようなソフトを入れ、それ以外を入れない、と言う状態にしてある。もう一台は開発用で、最後の1台がビルド・テスト用だ。ビルドやテストの最中はCPUやメモリを大量に消費するので、開発マシンと一体化することはできん。すると最低限でも3台は必要なのだ。

「じゃぁ、ITのルールを緩めれば2台で済むんですね? では ITさん、ルールを緩めてください」
いや、それじゃセキュリティ上危険じゃないか。開発用マシンにはその目的上、クラッキングにも使えるツールが満載だろう? もしそのマシンを乗っ取られたら、会社のシステム全体を乗っ取るための道具をクラッカーに提供しているようなもんじゃないか。
もし、そんな事になったら誰が責任をとってくれるんだね?!

いやいや、そもそも、そこまで侵入された段階でお前のせいに決まってるだろうが。ツールが有るかどうかの問題じゃないし、内部のマシンのありようなんか関係なかろう。

何を言うんですか。うちのネットワークセキュリティは外部からの攻撃に対しては万全です。唯一の例外は、社内の人間が愚かにも釣りページに引っかかって、余計なツールをインストールした場合だけですよ。こうなると内側から内側を攻撃している状態になりますからね。さすがに我々が手を下すより早く、攻撃が完了してしまう。だから、余計なツールなんぞ入れずに、我々が許可したものだけを使っていてくれるのが一番安全なんだよ。

何が安全だ。安全に餓死するのと、病気覚悟でメシを食うのとで、お前は餓死することを選ぶのかっ!!

「…わかった。わかりました。とりあえず、開発部のマシンが3台ある件については後回しにします」
(やれやれ、これでどうやってコストダウンしろって言うんだ…)
こんな状態は、どこの会社でも、しょっちゅうなんじゃないかと思う。

どの部署も、誰もが、自分たちが使っているものを使い続けること、自分たちが欲しいものについての正当化はすでに出来ているのだ。そのためのコストは妥当だ、と思っている。だからコストダウンは当然やらなくてはいけないだろうが、それはうちの部署じゃない。あるいはうちの部署でも構わないが、正当性の前提である鬱陶しい拘束条件をたたき潰してくれ、という事になる。

いや、実際には上記の例はとても平和な例だ。実際にはこう言われることがほとんどだ。

お前はなんの権利があって、
うちの部署の予算の使い方に
文句をつけるんだ?!

Announcementをろくに行わない上司の元で、何かをやろうとした場合に必ず直面するのは、この形式の抵抗だ。

お前は俺の領分を侵しているぞ
お前の問題提起は正しいかもしれんが
俺の領分を侵犯せずに問題解決しろ

しかし、無能な上司の方はこう考えている。

お前にやれと俺が言ったんだから
やれないのはお前が無能な証拠だ

待てやボケナス。
「お前が俺にやれといった」事を示す
証拠はどこにある?!
その証拠なしに、
既得権を主張している奴らを
説得できるわけがなかろう?!

Announcement が重要な理由はこの一点につきる。有能な上司は、部下に仕事を割り振るときに、必ず Announcement をかけるが、そこには
  • 私が仕事を割り振ったのだ
  • 問題提起があり、私はそれを問題と考えた
  • 解決のために権限委譲をした。yyyyが担当だ。この件に関しての権限は私が承認した
  • 故に、yyyyから「これこれこういうふうに問題がある」と言われたら、お前はそれを直せ。
    このその部分問題に関する限り、それはお前の問題だ。所有者不明ではない。
  • 私はこの問題が早急に解決されることを望んでいる。もし十分に納得のいく意見なくyyyyの要求を蹴飛ばす事は俺が許さん
と、これだけのメッセージが含まれている。これによって所有権問題を解決しておかなくては、yyyy君は問題を解決できない。yyyy君自身にはあなたとおなじ特権は、デフォルトでは与えられていないのだ。

逆に Announcement を利用して所有権問題を解決しない上司というのは、いつまでたっても問題が解決しない、いつの間にか解決活動自体がフェードアウトしている…という経験をし続けることになる。
「うちの会社には実行力がない。全くもってけしからん」
それはあなたの部下が無能なのではない。所有権問題を最初に解決しない
あなたが無能なのだ

優秀な上司は Announcement を最初に行い、最後に行う。所有権問題解決のために最初に行い、真に解決したい問題が解決されたことをアナウンスして特権を解除するためにもう一度 Announcement を行うのだ。

2010年4月10日

新人じゃなくなった人は何を気にするべきか -5.2- エージェンシー

取引コストは、誰にでも存在するコストだった。構造的には対称形をしている。と言うことは、次からは当然非対称な状態についての話になる。

エージェンシー理論では、取引をする2者は非対称になる。一方をプリンシパル(依頼人)、もう一方をエージェンシー(代理人)と呼ぶ。
エージェンシー理論においては、プリンシパルは何かをしたいのだが、自分ではできない。そこでエージェンシーを立てて自分の財産の一部操作する権利をエージェンシーに渡す。エージェンシーはその権利を利用してプリンシパルの目的を達成し、同時に自分でも利益を得る。これが理想的な状態。
プリンシパルは限定合理的なので、エージェンシーについて完璧な情報を得ることはできない。さらに、エージェンシーを常に監視し続けるととても高いコストを払うことになる。もちろん、プリンシパルとエージェンシーの利害が完璧に合致することはありえない。プリンシパルを裏切るとエージェンシーの儲けが増えるなら、エージェンシーは情け容赦なくプリンシパルを裏切るだろう。
また、プリンシパルがあるエージェンシーを雇うのは、そもそもがそのエージェンシーの方がプリンシパルの目的達成に関しての知識があるからだ。と言うことは、プリンシパルにはエージェンシーが秘匿している情報を知るには高いコストが必要になる。
このような条件下で、どのような問題が発生しうるのか、どのようにすれば問題の発生を抑えられるのか、というのがエージェンシー理論。

ぱっと考えて判るように、これ、意外と適用範囲が広い。
  • 株主と経営者
  • 雇用者と被雇用者
  • 規制当局と被規制者
  • 内閣の大臣と各官庁の官僚
など、規制やサービスなどはもちろん対象になるが、実はこの理論が有名なのは「中古車販売」だったりする。「自分の欲しい車を探している購入者」と「中古車を中古車市場から探し出し、購入者に転売して利ざやを稼ぐ中古車販売業者」もプリンシパルとエージェンシーだ。

大雑把に2種類の問題が発生することが知られている。1つ目は「モラル・ハザード」。もう一つが「逆淘汰」だ。より単純なモラル・ハザードから見ていこう。

モラル・ハザード

モラル・ハザードは…そのまんまだ。情報的にはエージェンシーの方が多い。プリンシパルはエージェンシーを監視できない。プリンシパルの利害とエージェンシーの利害は合致していない。
ヒャッホー
俺(エージェンシー)の好きにさせてもらうぜっ!!
こうしてプリンシパルは裏切られ、プリンシパルの利益は最大化されない。最大化されないどころか、下手をすると食い物にされちゃう。これがモラル・ハザード。


モラルハザードはいろいろな場面で頻繁に起こる。

例えば銀行の預金保護。あなたが銀行に預けた預金は保護される。銀行が破産しても国が元本分は保証してくれるのだ。銀行が持っている借金分は破産によって(資産分を充当した後)棒引きされる。株式会社って奴だからだ。
結果として、銀行はあなたの預金をよりリスキーだが当たればでかい博打に投入することができる。
勝負に勝てば、利益は俺のもの
勝負に負ければ、損害は国のもの
これで大博打を打たない方がおかしい。
もちろん、実際には銀行がやって良い業務には膨大な規制が掛かっていた。そのため、ここまで悪辣な方策は打てなかったのだが…。


ベンチャーの投資も同じだ。ベンチャーが立てた企業目論見書を見て、ベンチャーキャピタルはカネを貸すことを決める。しかし、ベンチャーがその目論見書通りに働くという保証はない。勝てば自分の利益、負ければキャピタリストの損、という状態なので、特に上手くいかない状態が続いたベンチャーは最後の博打を派手に打ちたがる、という傾向がある。


似て非なるけれど、やはり似ているのが、サブプライムローン問題。リーマンショックに至る原因ですな。
アメリカのローンは、借りる側をクレジットスコアで評価している。信頼ができる客をプライム層、それよりも評価が劣る人達をサブ・プライム層と呼ぶ。
プライム層に金を貸してもほぼ確実に金は返ってくる。なのでこれらの人達にお金を貸しても余りリスクは高くない。リスクが高くないので、様々な側面で利率が低い状態でしかお金を貸せない。そこでハイリターンを狙うなら、ハイリスクなサブ・プライム層の借金をどうにかして、リスクを下げることは出来ないか?! という事になる。
で、サブ・プライムローン問題の場合、住宅ローン…つまり担保があることを利用しての借金…を狙うことになった。さらに、債権を全部ひとりで背負うと大変なので、これを小さな単位に分割する。で、さらに他のサブプライム・ローンの借金の一部と組み合わせて、一種のポートフォリオを作り上げ、それを証券として売り出す、と言うことを考えた人がいたわけ。
担保があるので取りはぐれる可能性は低い。また、複数の借金を組み合わせてポートフォリオ化しているので、一人の借金が焦げ付いても被害は簡単には甚大にはならない。そういう発想なわけだ。

え?これだといいように聞こえる?えぇ、実際、この場合のエージェンシー…つまり借金を証券化した人達…自身も自分たちが一種の詐欺を働いているとは気がつかなかった。
サブ・プライムローンの問題は、ようするに各借金並びに担保回収の可能性は一次独立である、とした仮定にある。ある一人の借金が焦げ付いても、別の人の借金は焦げ付かない。ある一人の借金の担保である家の価格が下がっても他の借金の担保である家の価格は下がらない。そういう仮定があったわけ。
でも、景気にはトレンドというものがある。景気が悪くなれば最初に首を切られるのは誰か?サブプライムにクラス分けされている人達はまさにその「最初に首を切られる可能性が高い人達」だからサブプライムにクラス分けされているわけで…で、その時に担保として取り上げた家の評価額は? そら下がってるわな。多少なら下がっても大丈夫だろうけれど、バブル経済は
バブルがはじけた時の評価額下落量が、
さらなる焦げ付きを発生させる程酷くなったら
バブルはハジケる
気がついたら、プリンシパルはとんでもない博打を打たされていた、という状態に陥る。

逆淘汰

プリンシパルは、エージェンシーの裏切りに耐えるしか無いのか? いや、そんなはずはあるまい。何らかの対策が打てるはずだ。そう考えた人は沢山いる。何よりも、そんなに裏切り行為ばかりだったら、そもそもほとんどのサービス市場は成立しないじゃないか。でも、多くの人は裏切り行為を経験することもなく、サービスを手に入れている。きっと、なにかあるんだよ…

最も簡単な対策は、エージェンシーからのアガリにリスク分を最初から含める、というものだ。
先程のサブプライムローンの場合を考えて欲しい。借金を必ず返せるだろうとされるプライム層と、借金が返せない可能性があるサブプライム層では、同額を借りても利率が違う。サブプライム層にカネを貸すと裏切られる可能性があるから、その分割高にすることでリスクを相殺しよう、という考え方だ。やれやれこれで一安心…だろうか?(つーか一安心なら逆淘汰なんて項は作らないよね)


一番有名な「一安心じゃなかった」例が レモン市場 と呼ばれる現象。特に中古車市場で起こったケースが有名だ。そう、実際問題は起こっている。

中古車を買ったことがある人はわかると思うけれど、中古車の品質を調べるのは大変だ。年数、走行距離程度じゃ車の品質はほとんど判らない。事故歴・故障履歴はもちろん、改造されている可能性だってあるわけだから。
もちろん、中古車を売る側…この場合のエージェンシー…はそれらの情報を全て持っている、と仮定しよう。中古車を買う側…この場合のプリンシパル…はエージェンシーの詐欺行為からどうやって身を守ればよいだろう?
容易に考えつく手の一つが、リスクに応じてプレミアムをつける、と言うやり方だ。ある中古車は30万円の価値がありそうだ。でも騙されているかもしれない。だから20万円までしか出さないぞ、というわけ。相手が正直であれば10万円分得をする。不誠実だったら20万円の損だが30万円の被害よりはましだ。

実際にこれをやると何が起こるだろう?
正直なエージェンシーが中古車を売りに出す場合を考えよう。実際には30万の価値がある。エージェンシーは30万円だと見積もっている。プリンシパルも30万円の価値があると考えたが、プレミアム分を引くので、プリンシパルは20万円しか出さない。結果、この良質な中古車は中古車市場に流通しない。
嘘つきなエージェンシーが中古車を売りに出す場合は?実際には10万円の価値しかない車を、30万円の価値があるかのように偽装してうりに出したとする。プリンシパルは20万円で勝負を挑む。エージェンシーは +10万円 を濡れ手で粟で手にいれた。この場合この悪質な中古車は中古車市場で流通する。

プレミアムは悪質な車だけが流通する状態を作る。良質な車はプレミアム分の値下げに耐えられず市場から出て行く。こうして悪質なものばかりが流通する市場が出来上がってしまう。
このようにプリンシパルが目的とした結果と逆方向に市場全体が流れてしまう状態を 逆淘汰 と言う。



逆淘汰を防止するにはどうすればよいか? 実は解は見つかっていない。一見解になっていそうな解決策が致命的な弱点を持っていることが多々ある。
一般解としてよく言われるのが「インセンティブ」的な考え方だ。エージェンシー理論における諸問題は全て、エージェンシーとプリンシパルの利害関係が合致しないために起こる。なら合致させればいいじゃん、というわけ。

例えば営業。営業マンに会社の商品をより積極的に売ってもらうにはどうすればよいか?喫茶店やパチンコ屋で一日を過ごすのではなく、お客様を訪問し、ニーズを聞き出して商品を売り込んでもらうにはどうすればよいか? よくあるのが インセンティブ制 の考え方だ。つまり売上の一部を営業マンの利益としよう、と言う考え方。これで、営業マンは働けば働くほど収益が増え、プリンシパルもエージェンシーも万々歳…一時期とても流行った考え方だ。今でもこの方式をとっている会社がほとんどだろう。
生憎、この方法は非常に悪質な営業マンを呼び寄せる。
インセンティブ制の弱点は、「売上」にしか注目していないことにある。商品を買った客は、自分が買ったものが自分が欲しかったものと合致しないと、企業に対する評価を下げる。消費財の場合下がった評価はもとに戻らない。耐久消費財の場合、サポート部隊がお客様の直面している問題を改善するべく活動し…結果、営業が不適切な商品を売ったことを発見する事が結構あるのだ。
売上は、契約が成立し売掛金を回収した段階で成立する。お客様に不適切な商品が売られたことが判明するのはその後のことだ。優秀で悪質な営業マンは、お客様のニーズに対して微妙に性能不足な…しかし価格的には安い商品を売り込む。複数のお客様に同時に売り込み、インセンティブを一気に稼ぎ、転職する。問題が発覚しても、その営業マンはもういない、会社に被害が残る、というわけだ。


似ているが、さらに問題がややこしい例として「社員持ち株制度」があげられる。社員自身が会社の株を持つことで、会社の業績と社員の収益の間に相関性を持たせることができる。会社の業績がアップすれば株価もアップし、配当も受け取れる。社員は会社の業績をアップさせるために精勤する事が、自身の利益へと直結する…
生憎これは最悪のシナリオを考えていない。
会社の業績に関連する、会社内部要因に社員の精勤率があるのは事実だ。しかし、同じぐらい、経営者の能力がモノを言う。経営者が馬鹿な指示を出し、社員がそれを精力的に実現しようとすると、会社の業績は急激に悪化する。悪化するためのシナリオを精力的に実現しているんだから当然だ。
会社の業績と精勤率の間に逆相関が現れた事は、社員が誰よりも早く気がつく。この瞬間から、社員の忠誠心が急速に失われて行く。持株の価値を下げまいとするためにサボタージュを行うものもいれば、損害を最小化するために持株を売り払おうとして市場に売り圧力を発生させ、さらに持株の価値を下げてしまう社員もでる。結果、事態は加速度的に悪化して行く。
社員の精勤率が下がった状態で、仮に経営者が過ちに気がつき、修正をかけようとしても誰も動いてくれない。そもそも、その「修正」を提示している経営者への信頼がすでに無くなっているのだ。一見正しそうに見えるからと言って、どうしてそれで事態がよくなると言える? それよりこのボロ船から取れるだけのものを取って、とっととおさらばしようぜ……
結果、修正は実行されることなく、事態はさらに悪化する。

経営的には正しいが、社員への負担を要求するような施策を経営者が出してきたとする。社員にはジレンマが生じる。株主としての社員はこの施策で利益を得る。社員としての社員は損害が出る。プラスマイナスを勘案するとどちらが大きいか? これは持株を多く持っている社員…大抵は古株の社員…程プラスに、新人ほどマイナスになるだろう。この施策は、会社の結束力を分断する結果を産んでしまう。
もっと困ったことも起こる。持株を多く持っている社員が自らの利益を最大化しようとすると、この会社に対しては純粋に株主であるのが最適になる。つまり古株の、多くのノウハウをもった社員が転職するきっかけを作ってしまうのだ。逆淘汰圧を社内にかけたのと同じ状態に陥る。

これらの問題を回避しようとすると、経営陣が打てる手として残っているのは非常に穏当なものしか無い、と言う状態に陥る。これでは急激な市場変化…リーマンショックによる世界同時不況とか…に対応出来ない会社になってしまう。これはこれで、プリンシパル(株主)の利益が阻害される…



実はエージェンシー理論が、通常の方法では解決出来ないのには理由がある。解決策として提示されているものが全て、価格ベースの解決策なのだ。
Who is Customer』の所で示したように、市場において価格はゼロサムに為るように流通する。つまり、私と貴方が取引をした場合、そこを流れるモノやお金は取引前も、取引後も0になる。何も残らないし、何も残さない。取引によって取引をした人達双方の価値の総和は増える。しかし価格はゼロサムなのだ。
価格ベースの解決策は、会社が手に入れたお金の分配法則だけでプリンシパルとエージェンシーの利害を合致させようとする。しかし分配できるお金の総和は固定だ。そのため、プリンシパルの取り分が増えるとエージェンシーの取り分が減る、と言う状態が発生する。
会社が成長しているときは、それでも双方の取り分が増え続けるので、問題は発見されにくい。しかし、会社の成長がとまったり、何らかの理由で収益が減った場合、プリンシパルとエージェンシーは取り分をめぐって争いを始めることになってしまう。利害が一致する、とは利益が出ているときは良いが、被害が出ている時も一致してしまうのだ。

ここまで説明すれば自明だろうが、エージェンシー理論の真の解決策は 価値ベースの解決策 を見つけることでしか得られない。足して0にならないのは価値だけなのだ。プリンシパルからみて価値の低い、しかしエージェンシーから見て価値の高いものを取引材料に、プリンシパルから見て価値の高い、しかしエージェンシーから見て価値の低いものを引き出させる。この状態を作り上げて、エージェンシーが正直であるほどエージェンシー自身が得をするように、しかしそれによってプリンシパルが手持ちの資産の価値の総和を大幅に引下げなくても済むようにしなくてはいけない。
実際、世の中のプリンシパルはエージェンシーを選ぶ際に、単純に能力や価格だけで選抜しているわけではない。エージェンシーの持つ価値観を調べ上げ、その価値観に合致し、エージェンシーの資産価値が上昇するように報酬を設定することで、エージェンシーの忠誠心を引き出している。これがエージェンシー理論のような問題が、現実の世界ではなかなか発生しない…とくに個別の取引において発生しにくい…理由だ。逆にそのような状態が作りにくい中古車市場などでは、エージェンシー理論通りの問題が発生する。


優れた経営者は「価値観の共有」を唱えたり、逆に現場主義を唱えて自ら社内の状態を調べ社員の意見を聞き出そうとする。これは社員ひとりひとりの価値観を調査し、また価値観を会社のそれと合致させることで、会社と社員の利害を「価値観レベルで」合致させようとしているからだ。また、会社として社員へ報酬を与える場合に、単に金銭的なものだけではなく休暇や仕事上のチャンスを与えるという形をとるのも、価格という形ではなく価値のレベルでの報酬を最大化しようとするからだ。このために、優れた経営者は社内というマーケットの調査を怠らない。

逆に無能な経営者は、この社内というマーケットの調査を怠る。何よりも自分から進んで調査しようという発想がない。
非常によくあるのが、オープンドア・ポリシーを誤って使うケースだ。
「俺はここにいる。ドアが開いている時はいつでもやってきて問題を伝えてくれ」
まぁ、確かに。常にドアを閉じているよりはましだが、これは雛が口を開けて「餌を頂戴」と叫んでいるのと同じ。しかし、そのような人に今自分が直面している問題を伝えたからと言って、それをどう使うのか? その経営者を信頼できる理由はなんだろう? 解決策が優れていると判断出来る理由はなんだろう? 過去に実績がないのに。
この人は、社員が抱える取引コストを
一切下げようとしていない
そんな人に相談をして、それが相談者に取って不利に扱われない、と考える理由はどこにもない。
積極的に問題を発見し、解決しようとしてくれる人ならば実績も存在する。そのような人がオープンドア・ポリシーを使っているならば、社員は積極的に相談に行くだろう。しかし、そうじゃない場合、オープンドア・ポリシーはただの自己満足に過ぎない。情報は何も集まらない。そして、この場合
情報が集まらないのは
最悪の情報
なのだ。


これで判ったと思うが、優れた経営者であるためには社員の、優れた上司であるためには部下の、ニーズを探り、問題点を発見し、社員を/部下をお客様として、彼らにとって自社で働くことの/自分の部下であることの価値を最大化しようとしなくてはいけない。
「あぁ、この会社で働いていてよかった」
「この人の下で働いていてよかった」
と思えるためには、相手の価値観を知らなくてはいけない。このために、Communication がとてつもなく重要になる。
そして、それは決して社員の/部下のためではない。彼らがあなたを裏切らないように、信頼できるエージェンシーとして使えるようにするために、必要な作業なのだ。


あと、一点、重要なポイントがある。よく優秀な経営者の実績を調査すると、彼らは仕事時間を
社内問題に20%
社外問題に80%
となるように使っている、という調査が出てくる。これを見て、
「やはり優れた経営者たるもの、自らが社外に出て営業して回らなくちゃな」
とか馬鹿を言い出す奴がいる。
それは原因と結果を取り違えている
優れた経営者は、自分の部下を十分に把握している。そのためにたっぷりと時間をかけて価値観を調べ、共有し、信頼されるべく実績を積み、それでも価値観が合致しないものは取り除く、と言うことをしてきた。
だから今、社内には20%の時間を掛けるだけでよいのだ
優れた経営者は、社内に問題が発生すれば 30% でも 40% でも100%でも時間をそちらに振り向ける。社外問題を解決しようとしている最中に、背中から撃たれるほど効率を下げ、やる気をくじくことはない。だから、まず先に味方を完璧に支配するのだ。
十分なコミュニケーションを取ることで、このような状態にすることは可能だし、優れた経営者の実績がそれが可能であることを示している。

2010年4月4日

新人じゃなくなった人は何を気にするべきか -5.1- 取引コスト

まずは取引コスト(Transaction Costs)から始めよう。

…何についてでもいいのだが…そうだな、たとえばパソコンについてちょっと考えてみて欲しい。
あなたはそろそろ新しいパソコンを買おうと考えている。どこのメーカーのどの機種にするか…

はい。ストップ。

今考えたメーカーは、今使っているメーカーと同じじゃないだろうか?
今考えたパソコン上で動いているOSは、今使っているものと同じ(あるいはその後継)じゃないだろうか?
なぜ、それらを選んだのでしょう?
OSはいまや沢山あるよね。普通の人がちょっと考えて出てくる選択肢だけでも、Windows7、MacOS X、Linux ぐらいはある。Windows上で作ってきたファイルはほぼ全て MacOS X や Linux 上でも使える。逆は若干苦しいが…特に MacOS X 上で動く Keynote のカッチョ良さに匹敵するものはないし…でも、Keynote を使いこなしまくる人以外は MacOS X である必要性はそんなに高くないはずだ。
合理的に考えれば、新しいパソコンで使うOSを何にするか、新規に一から検討をするべきだ。当然、そのOSに合わせてハードウェアを選択するべきだろう。
しかし、現実にはそのようなことをする人はほとんどいない。新しいOSは古いOSと同じか、その後継OSだし、ハードウェアも今使っているのと同じメーカーで、ほぼ確実に他のOSがサポートしている互換性とかは気にもしない。

車を買う時も同じだ。トヨタの車を最初に買うと、ほぼ確実にずっとトヨタ。マツダならマツダ。ホンダならホンダ。日産なら日産。メーカーを変えるのは外車に買い換える時か、なにか画期的なものが出てきたか(ハイブリッドカーとかね)、よほど車メーカーが酷い形で信頼を失った時ぐらいなものだ。

限定合理的な我々は、知らないメーカーや知らないOSについて知らない。文字通り、情報が不足している状態なのだ。しかし調査しようとするとコストが発生する。そのコストを払ってまで情報収集するべきか? それともコストを払わずに候補から外して真の最適からは程遠い状態になるリスクを取るか? この決断をしなくちゃいけない。もし、調査対象がこのコストに見あうほど品質に大きな差があるとは思えないならば、このコストは払うに値しない。
パソコンはどこでもハードウェアはインテルかAMDで演算パワーも大差なく、メモリ容量も似たようなもので、HDDのサイズも同じ。ならOSが多少違ってもできることは似たようなものだろう。天と地ほど違いはないなら、いちいち全部調べるに値するとは思えない。じゃぁ、今のままでいいや…
車はどこでも同じようなもんだろう? 燃費がリッターあたり2倍も違ったりするかい? 同じような値段で、同じような形の車なのに、運転のしやすさは変わらずに一方だけ空を飛べて今の後継だと飛べない、なんてことはないよな? じゃぁいいじゃん。今のままで…あ、ハイブリッド。そうね。じゃぁトヨタかホンダを候補に入れよう…

判るだろうか?見知らぬ候補は調査コストと言う名のハンデを持っているのだ。
『今と同じ(後継)』 >(価値) 『見知らぬ候補自身の価値』 - 『調査コスト』
という不等式が成り立つ限り、ほとんどの人は「今のままでいいや」「今の後継でいいや」となる。これを上回るほどの価値が「見知らぬ候補」側にはあるのだ、という事が事前に伝わっていなければ、そもそも検討の候補にすら上がらない。
ここの『調査コスト』のように、知らないモノに関して取引を行う場合は、知っているモノに関して取引を行う場合に比べてコストがかかる。これを 取引コスト と呼ぶ。

買い物をするなら、見知らぬ店より行きつけの店の方が良いのは、見知らぬ店の信頼度について新たに調査するコストを掛けたくないからだ。同じ値段で同じものを売っているように見えても、見知らぬ店の場合騙されているのかもしれないじゃないか。
だからこそ 贔屓 という概念が出てくるし、そのような贔屓を沢山作った店は、他店より微妙に高くても客が離れることはない。あまり高いと離れていくが。どれぐらい高くても大丈夫か…という辺りは ブランド力 と呼ばれる。ブランド力は、同業他社製品に対し取引コストを引き上げる効果がある。また、同一ブランドネームの他商品に対して取引コストを引き下げる効果もある。
多くの企業が広告を打つのは、自社を知ってもらい、自社製品を知ってもらうことで、取引コストを少しでも下げようとしているからだ。無限にコストを掛けるわけにはいかないから、どこにどうやってアプローチすればいいか? と考える必要が出る。これが マーケティング というものだ。


取引コストにはコミュニケーションがよく効く。取引コストとは無知であるが故に生じるコストだ。じゃぁ、自分のことを相手に伝えることで相手の自分に対する無知を軽減させ、相手の事を知ることで自分の相手に対する取引コストを下げればいいじゃないか。コミュニケーションのためのコストが掛かるが、「モノが売れないことで生じるコスト」だの「より良いサービスをより安く手に入れ損なうことで生じるコスト」の方が大抵の場合大きい。なによりも、その状態だと「価値としての損失」よりも「金額としての損失」が大きい。


「あなたが作っている/扱っている商品を買ってくれるお客様」という Customer の場合、こういう事が言える。

仮にあなたの作っている/扱っている商品が本当に良いもので、でも売れない。他社のもっと質の悪いものは売れているのに…というなら、
あぁ、これは取引コストが高いせいですね
と言えば、100% 正しい。とはいえ、これじゃ何も言っていないに等しいが。
  • あなたの会社名がお客様(あるいはお客様候補)に全く知られていない
  • あなたの会社が扱っている商品が何か全く知られていない
  • 商品が何をするものなのか知られていない
  • 自社内のニーズが見えておらず、商品の必要性が分からない
  • お客様のニーズが見えておらず、商品の方向性/宣伝の方向性がダメダメ
  • 商品を入手するための連絡先が判らない
  • 商品の説明カタログが、日本語じゃない
  • 商品のマニュアル類が日本語じゃない
  • そもそも必要なマニュアル類が無い事が露呈している
これらは全部お客様候補に取引コストを生じさせる。大抵の外資系企業が日本に来て「モノが売れない、非関税障壁だ」などと呻いている場合は、絶対これらの取引コストを引き下げようとする努力が 全くもって、丸っきり、全然、馬鹿かと言うぐらい 足りていない。IT業界の製品を考えただけでも、NEC, 日立, 東芝, 松下, 富士通 などが一般家電からPCから何からで常に名前を見ない日はない、という状態な所に割り込む必要があるのだ。どれほど売り込みが必要か…IBMぐらいだろう、取引コストが十分下がったのは。逆に富士通はエフサスとかPFUとか、無駄に取引コストをあげるブランディングを打ちすぎている。
逆に日本製品がアメリカとかで売れている場合というのは、これらの取引コストを引き下げるための努力がもの凄まじい。"you asked for it, you got it, Toyota," というキャッチフレーズなど、1976年にアメリカにおいてラジオを付けていると GM, Ford, Chrisler のCMの合計に匹敵するぐらい聞こえてきたことがあるぐらいだ。自動車を買うわけがない幼稚園児までがToyotaの名前を知っている、これぐらいじゃないと海外勢の取引コストは下がらない。
"YAMAHAはアメリカの会社だ"
と思い込んでいる人が過半数を占めるぐらい、現地に馴染まなくちゃ「会社を知られていない」という取引コストは下がらないのだ。

無知に伴なう心理的コストには恐ろしいものがある。これは特に日本において顕著な特徴だが
未知のバグより既知のバグ
という顧客傾向がある。
古いバージョンは「既知のバグ」が100個ある。それらは全て正体が判っている。新しいバージョンは「既知のバグ」は一個も無い。そんな怪しげなモノは使えるか。そう言って、既知のバグの多い古いバージョンのソフトウェアを使いたがるのだ。
ちょっと考えれば判るように、新しいバージョンでは古いバージョンにあった100個のバグは直っている。直したから、既知のバグが0になったのだ。もちろん未知のバグはあるだろう。しかし、それは古いバージョンだって同じなのだ。従って、ソフトウェアであれファームウェアであれ、fixそのものに大きな問題が無い事を確認したら、可及的速やかに新しい版に移るのが正しいあり方なのだが、そうしない。
「未知のバグ」と「既知のバグ」で前者の方が取引コストが大きい場合、「既知のバグがある方が安心できる」という状態に陥るのだ。え?未知のバグの数はわからないだろうって? いやいや。バグの総数から100個、既知のバグの分だけ未知なるものが減っているんですからそちらの方が安心ですよ、えぇ。
バグの総数は一定なんて誰が決めたっ
でも、総数が判らないのは一緒なんだから…と考えると、総数は同じのように感じるよね?ようするにある無知が、別の無知と既知のコスト差を逆転してみせることすらもある、と言うことだ。

取引コスト問題を解決するには、本質的には啓蒙とか宣伝とか…ようするに情報を与えるしか無い。だからセミナーとかをやっている会社は多いが…そもそも「よく分からない会社」のやっているセミナーに出たいと思う、あるいは時間を割くべきである、と考える人はいない。ここにも取引コストがいるのだ。いくらセミナーの案内に
「御社が抱える問題を解決するソリューションがここにある」
とか書かれてもねぇ、それを鵜呑みにするには殆どの人はすれているし、人生ですれていないほど学習能力のない人がセミナーに来ても何も学ばずに帰るのがオチだ。

新規顧客が持っている取引コストはこのように非常に高い。だから一度お客様になってくださった方がいたら、リピーターになってもらう方が良い。せっかく相手との取引コストが下がり始めたのだ。お客様が持っている不平・不満を聞き出し、煽り立て、うちの会社の製品がそれをいかにスマートに解決するか刷り込まなくてはいけない。状況によっては他社製品をお勧めする場合でも、その製品が良ければ良いほど、勧めた人の価値も一緒に上がるように、それによって結局取引コストが下がって自社に戻ってくるように、きめ細かくコンタクトを続けろ…営業マンがもっともハッパをかけられるのはここだし、優れた営業マンがやっているのも要するにこういう事だ。
優秀な営業ほど口下手で、自分から物を話す量は少なく、相手にたくさん話しをさせる、というのも実は同じこと。お客様はしゃべればしゃべるほど、営業マンに対する取引コストを引き下げてくれる。
「こんなに私のことを理解してくれてはるんやから」
いや、おばちゃん、あんたが独りでペラペラ喋くってるだけですがな。
逆に営業マンが喋くりすぎると、話に割って入りたいとか、よく解らん事を言われてだけど質問するのも恥ずかしいし(これも取引コストだ)…と、相手に対する心象が悪くなる。心象の悪いヤツに自分が困っている事を打ち明ける人はいないわけで…こうして取引コストは高いままになる。下手をすると最初より高くなったりすらする。

そうそう。はてなブックマークにコメントを書いている人がいたが、床屋は確かに良い例だ。
新規顧客が来たら、床屋は相手に関する情報を引き出そうと色々話しかけてくる。髪を切っている間は特にそうだ。しかし、シャンプー、髭剃りと進むに連れて徐々にしゃべる量が減る。
一見床屋話しているように見えるが、実は床屋は「お客様が話せない状態」では話しかけない。椅子が横倒しになって客が眠くなったら邪魔をしない。話せるときに話す、というのは取引コストを下げる。話せない時に話をさせないのも取引コストを下げる。
軽く居眠りをしてから髪型を整えると、ほぼすべての人はすっきりと快適になって床屋を出る。他の未知の床屋よりも取引コストが下がった状態になり、故に一度行ったことのある床屋は再び訪れる率が高い。
実際にはほとんどの床屋で同じことを経験することができるので、よほどひどい場合を除いて、どこへ行っても「その床屋との取引コストは下がる」のだが…そこでは「未知より既知」のルールが働く。全く同じなら、なにも未知の床屋にチャレンジしなくてもいいじゃん。既知の床屋の方が確実なんだから。
こうして はてブ にあった事を取り込む事自体も取引コストを下げるための方策だ (^^;)



さて、逆にあなたが材料を買ったり、サービスを買ったりする場合。

当然予測されることだけれど、情報収集を怠るな、というのは一つ目の大事なポイントになる。意図的に新規・未知の取引相手に対する取引コストを引き上げちゃいけない。
と、同時に。すでに取引のある相手との取引コストが下がるように働きかける必要がある。あなたが商売するうえでリピーター顧客が大事であるように、あなたがサービスだの材料だのを買う相手もリピーター顧客は大事なのだ。ちょっとしたアイディア…そう -3.3- off demand で書いた、ルンバを使う話とか…は積極的に相手に与えるべきだ。どうせ自分で抱えてても現金化できないんだから。
くだらない話かもしれない?うん、それは相手の営業はよく判っている。でもあなたを邪魔したりはしない。100本に1つぐらいは、どうにか使えるアイディアがあるのを営業マンは知っている。1万に1つぐらいになると、まじで商品化できるものがあるのも知っている。そうじゃないハズレの話であっても、少なくとも客(あなただね)の取引コストが下がる事を直感的に理解している。だから、そうそうムゲに無視したりはしない…というか聞く耳を持たないのは無能な営業マンの証だ。
万が一、本当に商品化したら?
「お客様に教えていただきまして」
「お客様にご意見をいただいて、二人三脚で開発いたしました」
100%自前で作ったとしてもそう言って売り出すはずだ。既存顧客を満足させ、また新規顧客に「他の人が欲しいと言うなら何かあるに違いない」と興味を湧かせる事で取引コストを下げるために。

で、だ。あなたの取引コストを下げている時に、実はあなたは
営業マンのあなたに対する取引コストを引き下げている
事に気がついているだろうか? 新規顧客へ飛び込み営業するのがすごく苦痛な営業マンは多い。それは「営業マン側にも取引コストがある」からだ。どうせ取引をするなら「飛び込みが苦手そうな営業マンが飛び込み営業をかけてきたとき」にするのが良い、と言うことが判る。営業マン側の取引コストを上手に下げてやれば、その営業マンは他の新規顧客に飛び込み営業をする必要性が減る。少々の無理を聞くコストと、新規顧客に対する取引コスト、どちらが安いか…
もちろん、その際にさらに相手の口車に乗ってしまって、結局自分の出費の方が大きくなっちゃった…というのでは全然意味がないが…。



さて。物やサービスを「売る側」「買う側」がはっきりしているこれら2つは、とても判りやすい対称形なので、単純に取引コストだけを考慮してもいろいろ言えることがある。ところが会社と社員のような形になると、この取引コストがものすごくいびつな形で現れることがある。エージェンシー理論の中には取引コストの一形態、あるいはミクロなレベルでの取引コスト理論が積み上がってマクロレベルでの問題として発現しているものがある。

そこで、会社と社員の取引コスト問題は、エージェンシー理論の方でまとめて書く。


そうそう。取引コストについて述べる時にはこの本を紹介するんだった。「あなたの会社が90日で儲かる!」。この本の中身は玉石混交ではっきり言って自分で何を言っているのか判ってかいているとは思えない内容なのだが、当然玉の部分がある。それは、広告を打つときの姿勢。この本に書いてあることを書き換えるとこうなる。

広告は、商品を買ってくれることが確定している人をターゲットに打つのではなく、何らかの理由で取引コストが高くなっている人にもアプローチするように打て。そのためにも、「これを買え」的な広告ではなく、「情報を提供する」とか「サンプルを渡す」とか、そういう形のアプローチを取れ。
商品を買おうとする人にとって、取引コストには大雑把に「必要性の不足」と「魅力の不足」の形で発現する。

「面白い商品だけれど、それは今必要なわけじゃない」…これが必要性の不足。
「必要なのはわかるけど、もうちょっと待てばもっと良いもの/安いものが出てくるかもしれない」…これが魅力の不足。

両方共不足している場合は、買ってくれる確率はとても低い。でも片方だけならどうにかなるかもしれない。そこで、まず広告を打つ。両方共満たされているお客様は即座に買ってくれるだろうが、片方が不足しているようなお客様でも何らかの反応を示すように、広告を打つ。
で、このような「片方が不足していそうなお客様」に対して営業マンをアプローチさせる。最初から取引コストがある程度低い人な上に、ある程度コミュニケーションを取ればどちらが不足しているのかは明瞭になる。そこを集中して攻めさせれば、成約率は高くなる。そうなれば営業マン一人当たりの効率も良くなる。
この本には、広告の見てくれだとか、お願いする形で文章を書けとか、本質とは全く関係ない内容が大事そうに書かれている。そういう「石」な部分を取り除くと、「取引コストに注目しろ」という非常に正しい本質が出てくる。

2010年3月20日

新人じゃなくなった人は何を気にするべきか -5- Communication

新社会人にあなたならまず何を教えるか -2- CS』 において説明したように、Customer Satisfaction は3つの要素から成り立っている。

CS = T × T × F

最初のTTechnology つまり 「技術力」
次のTTransfer/Translate つまり 「伝える力」
FFocus 「焦点」

この内、Technology についてはもう、ほぼ予測がついているのではないかと思う。商品に価値を加えるのも技術なら、商品を量産して不良品を出さないようにするのも技術だ。すべての作業を手作業で行うのではなく、一連の自動化された作業に変換するのも技術だ。これらによって、商品に付加価値を加える事、それも安定した品質で(商品ごとのばらつきを少なくした状態で)提供出来ることは、お客様に安心感を与える。

「これ…そっちのと同じに見えるけど、本当に同じかなぁ…」
「いや、普通は同じやろうけど、このメーカー、昔から信頼ないからなぁ…」
なんぞと評価されるようでは、顧客満足度は向上しないのだ。ここに Automation と、それを実装するための Technology の重要性がある。





さて、問題は二つ目の T … Transfer/Translate あるいは Communication だ。これはなぜ重要なのだろう?

Customer が商品を買ってくれる人だとして、Communication が大事な理由は?
Customer が材料を売ってくれる人だとして Communication が大事な理由は?
そして Customer が社員だとして、Communication が大事な理由は何だろう?
なぜ Communication を重視すると顧客満足度は向上するのだろうか?

限定合理性を解決するため

実はこれだけで説明がつく。うん、判ってる。問題を「限定合理性」にすり替えただけだよね。まぁ、でもご想像の通り、ここから先は限定合理性の話になる。この限定合理性というのはこの次の Announcement でも重要なので

早速だが本を一冊紹介。この本はすごく簡単に言うと
第二次世界大戦で日本軍が行った数々の
どう考えても負けるだろ、それは
的な戦略的失敗は、従来は非合理性によって説明されていたが、実は限定合理性で説明すると論理的に説明出来る上に、他の組織の失敗についてもに多様なことがあるんじゃないかぁ?と言うことまで判る。
と言う話。太平洋戦争の日本軍には限定合理性から来る失敗が全てあります、と言わんばかりの勢い。いや、たぶん本当に全部あるんじゃないかと…。
限定合理性の話が判ると、組織運営においてどういう落とし穴があり得るのか、特に参加者全員が善意から参加していたり非常に頭が良かったりしても、組織全体としてはうまく回らないことがなぜ起こるのか、よく判ります。たぶん、以下に述べる私の説明よりも。

とまぁ、逃げを打つのはこれぐらいにしておいて :p

仮に神様であれば、何かを判断する際に次のような前提を立てても大丈夫でしょう。
  • 判断をくだすために必要な情報がどんなに膨大でも、取得コストは0である
  • 判断をくだすために必要な情報がどんなに膨大でも、それを保持・参照するコストは0である(つまり時間をかけずにそれらを検討対象に加えることが出来る)
  • 判断をくだすために必要な計算量・演算量がどんなに膨大でも、必要な時間は0で計算が終了する
  • 判断をくだすために必要な情報が何なのか、わからなくなるなどと言うことは絶対にない(判断に必要な情報が何かを把握する、というコスト自体が0である)
あ、ここでいう「コスト」は、時間がかかるとか、お金がかかるとか、何かの作業をするために別のことを諦めなくちゃいけなくなるとか、そういったもの全てをさします。単にお金だけの話ではありません。

さて、人間は神様ではありません。ですから上記のような仮定は取れません。しかし、だからといって全ての判断がサイコロを振っているのと同じ、と言うほど非合理的でも無い。そこで、
人間は限定合理的である
と仮定し、その場合に様々なことが説明できないか?というアプローチがあります。経済学では 新制度派経済学 ( new institutional economics ) というのがそれだそうです。で、このアプローチで見て行った場合に、個々人の挙動について、(少なくとも)次の3つの理論が成り立つことがわかっています。
  1. 取引コスト理論
  2. エージェンシー理論
  3. 所有権理論
これらは全て、
  • 判断をくだすために必要な情報を取得するにはコストがかかる
  • 判断をくだすために必要な情報がを保持・参照するにはコストがかかる
  • 判断をくだすために必要な計算量・演算量に応じてコストがかかる
  • 判断をくだすために必要な情報が何なのか、わからなくなる事があり、それを解決するにはコストがかかる
という4つのコストの存在から出発しています。これらのコストが存在するのに、経済効果を最大化しようとすると…つまり欲の皮を突っ張らかせると、起こる現象に関する説明です。


次からは順に内容の説明と、それが Customer とのコミュニケーションにおいてどう大切なのか、見ていきましょう。あ、Customer は先に定義したCustomer の方ね。

2010年3月6日

新人じゃなくなった人は何を気にするべきか -4- Who is Customer

さて、Automation 関連の話が終わったので、次は CS … Customer Satisfaction に関連する話だ。
ここで最も重要なのは…実は次の2点:
  • Customer って誰?
  • Satisfy ってどういう状態??
…ちょっ、今更何言いますのん

そう言うなかれ。新人の頃は上司なり先輩なりが「この方がお客様だ」「お客様に納得、満足していただくのが我々の仕事だ。そのためには…」と Customer も Satisfy も明示してくれた。新人はこれらのことを意識する必要はあったが、Customer の定義は何かとか、 Satisfaction の定義は何かとか、考える必要はなかったのだ。
しかし、今やあなたがその上司なり先輩なり。部長なり、常務なり、専務なり、社長なり。Customer の定義をするのはあなたなのだ。だからこういう問題の本質から考えなくちゃいけない。そして、問題の本質を考えると、あなたがとんでもない勘違いをしていたことに気がつくわけだ。

まずは最初の問題からいこう。
あなたのお客様は誰ですか?
「お金を払って商品を買ってくれる人の事でしょう?」
うん。新人の時にはそう習ったね。それはあなたのお客様の一部ではある。でも全部じゃない。

実はお客様って言うのは、
あなた以外全員
つまり
あなたの扱っている商品を買ってくれる人
原材料を買い付ける先
事務所を貸してくれるビルオーナー
清掃サービスを提供してくれる清掃会社
そしてもちろん
御社の社員
あなたの部下

これらは皆、あなたのお客様だ。これは経済学の定義から自動的にそうなる。
これを理解するためには、物々交換まで話を戻して基本を理解してもらわなくちゃいけない。テーマは「商売成立ってなに?」

いま、AさんとBさんがいます。
Aさんは、今日カレーを食べたかったのでカレーの材料を集めたのですが、人参が足りません。人参3本ほど欲しいのです。が、彼は大根を一本持っています。
Bさんは、今日おでんが食べたかったのでおでんの材料を集めたのですが、大根が手に入りません。大根1本欲しいのです。が、彼は人参を3本持っています。
この状態でAさんとBさんが出会いました。

AさんはBさんが持っている人参3本が欲しい。つまり Aさんにとっての価値はこうなります:
大根 <(価値) 人参3本
BさんはAさんが持っている大根が欲しい。つまり Bさんにとっての価値はこうなります:
大根 >(価値) 人参3本
ここで、AさんとBさんが大根と人参3本を交換すると、ふたりとも自分が持っているものの価値が高まります。そこで、AさんとBさんは大根と人参3本を交換します。
大根 =(価格) 人参3本
二人とも食べたいものが食べられてまんぞくまんぞく…

おおっと、待ちねぇ。今、私はものすごく大事なことを言った。それも2つ。

一つ目: 価値は個人のもの。価格は取引時に発生するもの。
この2つは全然別のものである。
二人の価値観に違いが出るときに、商売は発生する。
二つ目: 商売は等価格交換

一部の人に取っては「何を当たり前な」と言うかもしれないが、実はこれがものすごく重要。Aさんにとっての大根と人参の相対価値は、Bさんのそれとは逆転していた。と言うことは、
価値っていうのは、個人個人が持っているもの
私とあなたで共通化することはありえないもの
なのだ。たとえば、仮にここにCさんがいて、Cさんもおでんが食べたいとする。で、Cさんも大根を持っている(他の材料も揃っている)。さて。BさんとCさんが出会った。物々交換は起こるだろうか?
起こる訳ないよな
Cさんが大根をBさんにあげたら、Cさんはおでんが作れなくなって、代わりに人参が余る。BさんにとってもCさんにとっても大根は同じように大事で、人参は同じように不要なもの。この場合は物々交換は起こらないのだ。
価値に違いがある
だから取引が発生する
これが商売における重要なポイントの一つ目。
あなたと取引をしてくれる人が
あなたのお客様
これは、直感的に問題ないと思う。単にそう定義しているだけだし。
あなたのお客様は、
あなたとは違う価値観の持ち主
これは忘れちゃいけない事実。

さて。物々交換が起こった。このとき、AさんとBさんは何をしたんだろう? AさんとBさんは人参3本と大根を交換した。どちらもそれ以上何も求めなかった。この場合、この交換においては人参3本と大根は同価格と呼ぶ。つまりAさんは大根1本を提供すれば人参3本を得られると考えた。Bさんは人参3本を提供すれば大根1本を得られると考えた。この意味において「人参3本」と「大根」は互換性があるわけだ。本当は価格ってのは貨幣が出てこないと成立しないんだけど、その順序だと議論が面倒になるので物々交換のレベルから価格があると考えてくれ。
大根とか人参は日持ちがしない。そこで交換の仲介としてもっと日持ちのする、価値の変動の少ないものを考えた。これが貨幣。同じ量の貨幣で入手出来るものが「同じ価格」。同じ価格のものでも、貨幣で持っている方が価値が高いのか、物で持っている方が価値が高いのかは、一人ひとり条件が違うので同じ結論にならない。これが市場経済が成り立つ理由だ。

さて。

以上の話を聞いた段階で、「お客様」が意外と幅広い存在だと言うのは判ったと思う。
あなたの会社の商品を買ってくれる人というのは、「あなたの会社の商品」の方が「自分が持っている貨幣」よりも価値があると思ってくれたわけだ。一方であなたの会社は「商品よりも売値分の貨幣の方が価値がある」と思った。だから商売が成立した。よって、商品を買ってくれた人はあなたのお客様だ。
会社が商品の材料を仕入れるためには、材料を持っている人から材料を買わなくちゃいけない。材料を持っている人は、その「材料」よりも「材料の売値分の貨幣」の方が価値があると思った。会社はその材料を使って商品を作れば高い値段で売れると思った。つまり「材料」の方が「材料の売値分の貨幣」よりも価値があると思った。だから商売が成立した。よって、材料を売ってくれた人はあなたのお客様だ。
会社が自分の社員に会社の清掃をさせるよりも、あるいは清掃を一切せずに汚れるに任せるよりも、清掃会社に清掃サービスをお願いした方がよい、と考えたなら、清掃会社は会社に取ってお客様だ。おそらく社員を清掃に使うコストよりも清掃会社のお値段のほうが安いのだろう。また、清掃しないことで起こる、社員の健康状態の悪化やモチベーションの低下による被害よりも、清掃会社のお値段の方が安いのだろう。結果、会社は「貨幣」と「清掃サービス」を交換した。清掃会社はこの会社から見てお客様だ。

同じことが社員と会社の間にも言える。社員は労働力を提供する。力仕事だったり、知恵や知識だったり、お客様と対面する際の印象の良さだったり、いろいろだろうがそういうもの全部をひっくるめて「労働力」とする。この労働力を提供する代わりに、給料として貨幣をもらう。
社員であるあなたは、自分の労働力を温存するよりも給料として貨幣をもらう方が価値がある、と思ったのだ。会社は、貨幣を維持するよりも社員に労働力を提供してもらう方が価値がある、と思ったのだ。結果として、ここに「労働力」と「給料」の等価格交換が発生したわけ。

さて。等価格交換が成立したのはよいが…考えてみて欲しい。

あなたが会社の購買だったとしよう。材料を買う係だ。同じ材料なら、少しでも安く買った方が良くないかね? しかし、値切りすぎると提供される材料の品質が下がるはずだ。値切った分のコストはどこかで回収しなくちゃいけない。それは材料を採掘・加工するコストに転嫁されるはずで、と言うことは品質の悪化となって現れるはずだ。だから、値切りすぎちゃいけない。
同じことが会社と社員の間についても言える。同じだけ労働力を提供してもらえるなら、少しでも安く提供してもらう方が良くないかね? でも、給料を下げると社員のモチベーションも下がる。その給料で満足出来る社員のレベルも低い。結果として提供される労働力は下がってしまう。
逆に給料を上げたら? 給料を2倍にしても提供される労働力は2倍にはなるとは限らない。2倍の時間働いたら疲労が蓄積して、間違いが増える。だから、値切りすぎちゃいけない。

社長をはじめとする管理職の仕事と言うのは、社員のモチベーションを上げたり、働く環境を整えたり、あるいは社員にやらせる労働内容をコントロールすることで、同じ金額の給料でより多くの労働力を引き出すことにある。つまり、彼らはあなたの労働力を値切るのがお仕事なのだ。しかし提供される労働力が下がるほど値切りすぎてはいけない。

もちろん、トータルの労働力を値切るのが仕事なのであって、給料を減らすのが仕事なわけではない。
たとえば、今よりも性能のよいPCを提供すると、同じ7時間30分の労働でより多くの仕事がこなす事ができ、結果として投資したコスト以上に成果が得られるのならば、より多くの労働力をほんの少しの追加投資で引き出せたことになる。
よりよい広告を打つことでより多く、より正確な見込み客からの反応が得られるようになれば、営業職の社員の成約率は向上するし、同じ期間での成約量も増大する。これもより多くの労働力を同じ給料で引き出せた成果、と言うことが出来る。

社員はお客様
とは、そういう意味だ。

さて、2つ目の問題。

Satisfy とはどういう状態か

取引が成立した直後の「価値」の状態をお客様側から見てみよう。

「商品」 >(価値) 「払った金額」 ....... (1)

商品のほうがその商品のために払った金額よりも価値がある、という評価状態のはずだ。
問題は、お客様は常に自分の中の価値を再評価できるので、(1)の式は永久にこのままである保証はない、と言う点にある。商品を購入してみたら思ったようなものではなかった、失望した、と言う場合、商品の評価はすぐこのように変化するだろう:
「商品」 <(価値) 「払った金額」
簡単に言えば「金返せ~」という状態。この状態に陥ると、お客様は「騙された」と感じ、あなたと(あるいはあなたの会社と)の取引を今後も繰り返したいとは思わなくなる。


ここまでは『新社会人にあなたなら何を教えるか -2- CS』に書いた内容に非常に近い。ようするに
お客様がリピーターになってくれる状態
が Satisfy な状態だ。しかし、「お客様」の定義が変わったので、この状態になるとはどういう事なのか? も意味が変わってくる。

優れた労働力を提供してくれた社員がいるとしよう。この状態でお客様…つまりはこの社員…がリピーターになるとはどういう事か?身も蓋もない言い方をするなら
転職しないと言うことだ
優れた社員が会社を去ると、社員から得られる労働力が大幅に下がる。そうならないためには、
この会社で働いてよかったという満足感
を与えなくてはいけない。しかし、満足感と言うのは複数の要因が絡みあって成り立つものだ。給料が安すぎず、労働環境が悪すぎず、仕事の内容が退屈するような内容でも失敗するほど困難な内容でも無い。社員ひとりひとりごとにバランスポイントは違う。さらに人は成長するものなので、今の時点でのバランスポイントは将来のバランスポイントとは違う。

逆にこの条件を満たすことが出来ると、仮に何らかの理由でこの社員が退職する必要が出たとしても、再び就職する際にまた戻ってきてくれる可能性が出る。優れた社員が戻ってくるのは会社に取って大きな利得になる。
あるいは退職した後もその会社のファンで居続けるならば、何らかの商取引の際に心因的に優遇してくれる事もあるだろう。同じものを同じ条件で提供するならサイコロを振るのではなく御社で、と言う奴だ。

リピーターになると言うことを別の方向から観てみよう。同じ相手との商売を繰り返すと、繰り返し囚人のジレンマ 状態になる。つまり詐欺などの行為は行えない。商売を繰り返すことによるメリットが、詐欺などで一時的に得られるメリットを上回るからだ。
詐欺などの被害による潜在的被害を小さくしたいならば、お客様がリピーターになるように仕向ける必要がある。

もし、あなたの会社が社員の定着率が低い(外部から社員をやとってもすぐ辞めてしまう)としよう。この場合、社内のどこかで 繰り返し囚人のジレンマ 状態が崩れていることを意味する。つまり、優れた労働力を提供するものが適切に評価、処遇されていない(必要なリソースや自由、予算などが与えられていない)ために、社員定着率が悪化している、と言うことだ。大抵の場合、経営陣のどこかに、経営陣たる資格の無い奴がいる。
こうなると、社内での繰り返し囚人のジレンマ 状態が崩れているので、社外のお客様に対して提供されているはずの製品品質も保持できなくなっているはずだ。結果としてお客様もリピート率が低くなる。この状態を無理矢理何とかしようとすると、材料を買う際に値切りすぎる、などさらに状態が悪化する。

一見これらは全部違う現象のように見えるが、
お客様が満足していない
という意味では全く同じなのだ。
お客様が満足していないという状態は連鎖する
のだ。最悪、会社が潰れてしまうほどに。


お客様の定義と Satisfy の定義がそれぞれ何で、どうしてそれが大事なのか、についてはこれぐらいにしよう。次は Communication の話だ。

2010年1月21日

新人じゃなくなった人は何を気にするべきか -3.3- off demand

まず最初に一番大事なことを。

商売は、基本的に on demand である

お客様に
「これこれこういう物にならば、こんぐらいまでのお金を払ってもよい」
という要望・欲求が発生する。それを実現するものをその場で提供する。あなたにお金が入る。これが商売。だから、「要求に応じて」(on demand)。
エリヤフ・ゴールドラット博士が制約理論を振り回して言っているのも、ようするに on demand で商売をしろ、 on demand を徹底しろ、と言う事に他ならない。

「なーんだ。じゃぁ、どうやったって無理じゃん」
あー、いや、そうじゃないんだな。確かに商売の基本は on demand なんだけれども、あなたの元に「要求」がやってくる頃には、お客様の demand はなんかおかしなものが一杯ぶら下がった状態になっている。それら、「おかしな demand」を外していこう、というのがここでいう off demand。

例として。あなたがサラリーマンで、どこかの事務所に務めているとしよう。多くの事務所では、18:00 ぐらいになると清掃の人が入ってきて、ゴミの回収と床の掃除機がけをしてくれたりしないだろうか?

では、ここで質問。
清掃の人が、18:00ぐらいにゴミ回収と床の掃除機がけをする、
その理由は?

うん。仕事の最中に掃除の人がうろうろするのは邪魔だよね。機密情報を見られるかもしれないし。だからせめて定時を回ってから掃除をして欲しい。それは清掃会社からするとお客様の demand だよね。
でも、じゃぁ、なぜ 18:00? 19:00 とか 20:00 とか… 22:00 とかじゃなくて。いや、03:00 とかでもいいはずだよね? なぜ 18:00?
清掃をする人からすれば、そんな夜中に仕事をしたくない。清掃会社も自分の社員に深夜手当を出したくない。コストがかかるから。だから、なるべく早い時刻帯に清掃をやりたいわけだ。これは 清掃会社側の demand だよね。

このように見てみると、実は「18:00ぐらいにゴミ回収と床の掃除機がけをする」という、たった1つの作業項目には、お客様の demand 以外のモノが含まれていることが判る。そして、お客様側の demand はなかなか手をつけられないかもしれないが、自分側の demand は取り外せるかもしれない

上の話に関して、清掃会社側の demand を一部、off demand する一例をあげよう。ルンバ を知っているかい? iRobot社が出している自動清掃ロボットだ。似たような物にロボクリーナーというものもある。
どちらも、部屋を掃除させるとその動きはものすごく馬鹿だ。人間ならその何百分の一かで掃除出来るような所をえっちらおっちら掃除してくれる。でも、十分な時間をかければそこそこの掃除はしてくれる。でも、やはりその結果はそこそこ。はっきり言って
四角い部屋を丸く掃く
と言う表現がぴったりだ。

このルンバに毎晩あなたの事務所を掃除してもらったらどうだろう?そう… 22:00とかにスタートさせるんだ。 多分一晩かかるだろうし、掃除出来るのは床全体の 80%を超えることはありえないだろうが、まぁまぁ、きれいになる。で、週に1度だけ人間が掃除機をかけて、残り20%…主に部屋の角になるんだろうけれど…に掃除機をかけてもらう。
ルンバは一晩中掃除をし続けるだろうけれど、その頃には事務所にはあらかたの人はいなくなっているから邪魔ではあるまい。一晩中掃除をし続けるとしてもロボットだから就労規則もへったくれも無い。文句をいうこともなく、深夜手当も必要ない。

ゴミ回収は相変わらず人間に毎日やってもらって、その時にルンバの中のゴミも回収してもらう。

これで、清掃会社側の demand 「夜遅く掃除機を掛けると深夜手当が必要だから、なるべく早い時間帯に掃除機をかけたい」の一部は解消されたよね。人間が掃除機を掛けるのは相変わらず 18:00 からだけれど、それは週に一度になった。
ゴミ回収の時刻は 18:00 じゃなく 18:30 からにできるかもしれないね。掃除機を掛ける時間が不要になった分時間が短縮できて、ルンバのゴミも回収しなくちゃならない分時間が伸びるから、多分稼げるのは30分程度だろう。

似たような事は前に買いた日記新社会人にあなたならまず何を教えるか? -8- Automation の種類 - 補助頭脳型」でも説明した。こちらは、乾燥機能付き全自動洗濯機の例だった。濡れたままの洗濯物は腐っていくが、乾かせば腐らない。洗濯機に乾燥機能がつく事で、あなたが洗濯物の demand に縛られる必要がなくなったわけだ。

off demand は機械化との相性がものすごく良い。大抵の制約は人間に起因しているので、人間じゃないものを使うと demand が消えることが良くあるのだ。ただし、機械の demand が発生することを忘れちゃいけない。ルンバの例だと、電気を沢山消費するようになるはずだ。

off demand を実現するために demand を分類しそれぞれの発生原因を考え始めると、実は Market Fundamentalism について考慮・実現方法を探っている事と同じだ、と言う事に気がつく。当たり前の話だ。
ルールというのは demand の一形態に過ぎない
偉い人が、下の人に自分の demand を押し付けるための形態がルール。けれど、その demand は実現するために常にコストがかかることを気にした方が良い。demand をルールにする前に、
そもそもなぜそんな demand が発生するのか
検討した方が良い

大抵のおかしな demand は、問題の設定が間違っていることにそもそもの原因がある。「自分では原因だと思っていること」が単なる症状に過ぎず、故に解決するべき問題を間違っているわけだ。症状をいくら隠そうとしても、根本原因は直っていないので、別の形で何度でも吹き出してくる。
「真の問題は何か?」
「それは誰にとっての問題か?」
という観点が曖昧だったり、定義がいい加減だったり、感情論でスタートしていたりすると、狂った demand が発生し続け、コストばかりかかって結果がでない、と言う状態が続く。このような無駄が内在していると、お金がいくらあっても足りなくなる。だから、まず最初に「ライト、ついてますか」を読んで、問題とは何か、を考えなおすことから始める必要がある。
そして、可能な限り demand を消す方向で、検討をした方が良い。demand がなくなれば、そもそも demand が満たされているかどうかを確認する必要がなくなる。つまりコストダウンに直結するのだ。demand が満たされていることを確認する人件費よりも、demandを消滅させるための機械化に掛けるコストのほうが、長期的に見て安い場合が多い。

効率のよい企業は、ルールは少ないものだ



off demand が進んだ会社では多くの物事が Market Fundamentalism に基づいて定義されている。つまり「放っておくと望む方向になる」ように設定されている。すると 管理職が少なくて済む という状態が生まれる。一人の管理職が面倒をみることが出来る部下の数が増えると言うことは、組織のピラミッド構造が深くならずに済むと言うことで…組織化に伴うオーバーヘッドが減るのだ。
off demand は他の方式と異なり、下っ端数 n がいくつになっても成立するが、ピラミッド構造がなくなるわけではない。Scalabilityという観点で見るならば、off demand は管理効率を向上させる数少ない…ほとんど唯一の手段だ。

2010年1月11日

新人じゃなくなった人は何を気にするべきか -3.2- 機械化

分割していくと、作業手順の中身が徐々に明確化していく。で、どこかで気がつく。
「これ、機械で出来るんじゃないの?」
これが機械化の始まり。

機械化はかなり広い範囲で行われている。
ネジを素手ではなくねじ回しで回す、なんていうのも機械化の一種だ。あれは力をネジにいかに効率的に伝え、なおかつそのための機械が簡単に着脱出来るようにするか、かなり熟慮した結果できたものだ。ねじ回しを今度はモーターにつないで、あっという間にねじ込む、というのも機械化だ。機械化された作業を、さらに機械化して便利にしたもの。で、その電動式ねじ回しをロボットアームの先につけて、ビデオアイで位置決めして…とやっていくと、自動車工場とかで働いている組立ロボットになったりする。
そうやって作られた自動車も機械化だ。モノを移動させるのに抱えて運ぶとしんどいが台車にのせると楽になる。抱えて運ぶと荷重を支えるための力をずっと必要とするが、台車だと平地を移動する限り必要なのは初期速度を得るまでの力 + 摩擦分のロスを埋めるための力だけだ。その力の供給もエンジンからの力にしてしまえ、というのの究極の形の1つが自動車になる。

機械化にはいくつものメリットといくつかのデメリットが有る。まずさきにデメリットを。
  1. 機械に何をさせるのか、どうやってさせるのか、決めるまでが一苦労
    人間なら「適当にやっておいて」で済む手順をいちいち考えなくちゃいけない。適当にネゴるとかそういう機能は機械にはない。
    さらに、その手順を機械に実行させるためのメカニズムを考えなくちゃいけない。
  2. 機械を準備するのが、これまた一苦労
    人間なら適当に人を雇って、「これこれこうやって」と言えば適当にやってくれる。完璧じゃないかもしれないが、十分役に立つレベルのものが出てくる。
    機械だとそうは行かない。必要な機械を買ってくるなり組み立てるなりする。設置する場所に荷重制限があったり、十分平らじゃない、などの問題があったらそれも解決しなくちゃいけない。
    さらに設置したからと言って100%うごくと言う保証はない。機械にトラブルはつきものなので、それを解決しなくちゃいけないし、解決出来る人を用意しなくちゃいけない
  3. メンテナンス要員を用意しなくちゃいけない。
    …これは人間でもマネージャーが必要だ、という意味においては似ているかもしれない。が、世話のかかり具合が桁違いだ。
その代わり、こういうメリットがある。
  1. 人間と違って疲れを知らない。なので24時間365日動け、と言っても問題はない。
    もちろん、実際には故障するかもしれないし、メンテナンスも必要なので、そういう動かし方はしてはいけないが。
    この一種の応用として、人間には出来ない作業が出来る、というのもある。「人間には対応出来ないほど時間をかけて、ゆっくりと鍋をかき混ぜる」のような作業をさせることも出来るのだ。人間だと、どうしても「ちゃちゃっとかき混ぜてしばらく放置」を繰返すが、機械なら「ずーーーっとかき混ぜ続ける」事が出来る。
    Webでいろいろなサービスを提供する、というのも基本的にはこのパターンだ。マシンを管理している人は24時間365日働いているわけじゃない。サービスを提供しているマシンが24時間365日働いているわけだ。
  2. 人間よりも高出力/低出力/高精度を必要とする作業も出来る
    プレス機とかは端的にこの例だろう。強い力で一気に均等に金属に力を掛ける。金型を使って力のかかり方を制御してやると、切ったり、曲げたり、伸ばしたり出来る。一度に必要な力が少しでいい場合は、一度に複数のものを同時に作ることが出来る。
    逆に人間の限界を超えて微妙な力加減で何かをなさなくてはいけない場合も、機械のほうが有利だ。というよりこちらも人間には出来ない仕事。
    精密工作の中には人間の限界を超えるものもある。こういうのも結局は機械を経由させることで、人間の荒い行動を精緻な行動に変換してから伝達することで実装出来る。あ、逆のほうが判りやすいか。精緻な情報を、レンズなどを通じて拡大することで人間の目でも判るようにする、なんていうのも機械化の一種だ。
    計算機なんかだと、人間の何億倍もの速度で計算できる。量を必要とする演算は人間は到底叶わない。というか、人間単体だとあまりにもアテにならないので、ソロバンが発明されたぐらい。
  3. 人間がやると健康に被害が出るような事も出来る
    自動車の塗装なんかは、もうロボットに切り替わって久しい。あれは人間がやるとムラが出る上に健康被害もひどいから、ロボットにやらせるに限るわけ。
適切な作業内容を選んでやると、メリットがデメリットを大幅に上回るようになる。そうなると人間は機械を管理するために必要なだけになるので、人間一人当たりの生産性は飛躍的に高まる。

単純作業ほど機械化しやすい。そして機械化した場合、その機械の管理は決して単純作業では収まらない。
単純作業の大量の繰り返し
少量の複雑な管理作業
に置き換える、仕事の変換が行われた、と言い換えても良い。

よく比較優位貿易論とかで、「賃金の安い国に、単純作業が輸出される」とか言っているけれど、機械化を考慮に入れると事はそうそう簡単ではなくなる。準備に必要な時間やコストを吸収出来るなら、単純作業を輸出するよりも、機械化して国内でまかなった方が安い可能性があるのだ。

この辺をやらせたら天下一品なのが、岡野雅行さんだ。リチウムイオン電池のケースを絞りで作ってみせたり、とんでもなく細い注射針…無痛針を作ったりした人。
この人の場合、
  • モノを作る機械を作り、それを運用してモノを作って出荷する
  • モノを作る機械とそのノウハウを、他社に売る
という2段階を行うことで、常に他の人に真似が出来ない(そんな値段じゃ作れないとか、そもそも大量になんか作れないとか、根源的に人の手では作れないとか)事を成し遂げている。

だから岡野さんの所は5人の社員で回る。お金になってくれるもの自体は、社員が作っているのではなく、機械が作っているからだ。社員の仕事は、手法の確立と、機械の作成、管理。

岡野さんとは規模が桁違いで、やっているジャンルも全く違うが、実はやっていることは全く同じ、と言うのが Google。Googleも検索であれGmailであれ、サービスそのものは機械が行っている。Googleの社員がやっているのは、機械の管理と、その機械に何をやらせるか・どうやらせるかの開発、あとお金の管理。Googleと岡野さんの違いは、「機械に機械を管理させる」ための研究をやっているかどうか、ぐらいじゃなかろうか。だからGoogleのサービス規模、営業規模と、社員数は全く比例しない。

しかし、機械化もやはり限度がある。いや、機械に機械の面倒をみさせたとしても、やはり限度が来る。人間が人間を管理するのと同様、管理コストはO(n)よりも速い速度で上昇するのだ。末端のサービスを提供する機械の必要台数は、提供するサービス量 n に対して O(n) で必要になる。これらを管理するための機械を含めると、必要な機械の総量は O(n) よりも速い速度で膨れ上がっていく。
この観点で行くと、Google が他社を圧倒しているのは機械化の力であり、機械の労働力単価が世界中のどこに住んでいる人間の労働力単価よりも安いからだけれども、Googleといえども規模問題を回避したわけではない、と言うことが判る。

岡野雅行さんは経営方針として規模拡大をしない、としている。どちらかというと京都の老舗と同じ戦略だ。

2010年1月8日

新人じゃなくなった人は何を気にするべきか -3.1- 分割

分割は Scalable Organization の基本。
そもそも仕事が分割できないなら、「複数の人間で構成された組織」を作ったり、その一員になったりする意味ないし。

分割には大雑把に2種類ある。
同じ作業を二人がそれぞれやる、というのが「負担の分割」。
一連の作業を2つのパートに分けて、前半のパートをAさん、後半のパートをBさんがやる、というのは「機能の分割」。


「負担の分割」はO(n)のスケーラビリティがある。10人きて、10人同じことをすれば(十分なリソースがあれば)、10倍の速度で仕事は仕上がっていく。ただし、10人に何をすればいいのか教えなくちゃいけない。10人の仕事を評価しなくちゃいけない。マネージャーがいる。だから仕事はO(n)だけど、必要な人数はnの倍数よりも早く増えていく。なので、nが大きな数になると苦しい。しかし、nが小さな数字の間は、管理負荷は仕事の速度向上で相殺されることが多い。それはようするに、仕事がハードすぎて効率が落ちていたって事でもあるのだけれど…


近代といわれる時代以降、ほとんどの分割は「機能の分割」。別名「専門化」。

たとえば、鉄鉱石から自動車を作る仕事を考えてみる。これを全部一人でやるとなったら大変だ。鉄を精製することから始めなくちゃいけない。製鉄が終わったら一部をネジとかにして、別のものは鉄板にして、鉄板はさらに切って削って叩いてカタチ整えて…。その多くのステップそれぞれに必要な道具が異なるし、必要な技能も異なる。さらに作業の結果出てきたゴミを毎回片付けて…

仮に必要な技能は完璧にマスターしているとしよう。必要な道具も全部ある。ゴミ掃除もいらない。
でもそれでもそれらを全て使って自動車を作ろうとしたら、作業手順1つ1つに対して、必要な道具を取り出し、片付ける、という作業が必要になる。

ここで…たとえばネジのカタチをした鉄の塊にネジ溝を掘っていく部分を考えよう。バイトという道具を使ってネジを切る。本来なら、必要なバイトを取り出して、ネジを切って、余計な破片捨てて、バイトを片付ける。
が、仮にあなたはこの「ねじ切り専門師」になったとしよう。あなたの仕事はネジのカタチをした鉄の塊にネジ溝を掘ることだけ。もうバイトを取り出すとか、片付けるとかしなくていい。
仮にネジを切るのが全工程の1%かかっていて、車を1台仕上げるのに20日かかったとしよう。ネジを切るのは本来は 1/5 日。これが一日中ネジを切っていられるとなったら、おそらくあなたは一日に5台分のネジよりもはるかに多くのネジを作れることだろう。また、できたネジの品質は遥かに高いものになっているだろう。

「機能の分割」…つまり「専門化」は、「負担の分割」の場合と違って効率の向上を見せる場合がある。これは、「準備」「片付け」などの生産に直接寄与しない部分を大幅に省略出来る可能性があるからだ。逆に言うと、このような生産に直接寄与しない部分が少なくなってくると、生産効率の向上より、生産物を受け渡しするオーバーヘッドの方が大きくなってくる。

乱暴な話、チャーハンを作る作業を次のように、全部別の人に割り当てたとして効率があがるとおもうかい?
  • 中華鍋を加熱する
  • 中華鍋に油を馴染ませる
  • 中華鍋に油をしく
  • 溶き卵を投入する
  • 具材を投入する
  • ご飯を投入する
  • 最初の一振り
  • 次の一振り
絶対無理だわな。ということは、機能の分割もやはり n の大きさに縛りを持った方法に過ぎない、と言うことだ。

でも、nの大きさの範囲内であれば、10人に同じ作業をやってもらうより、作業内容を10個に分割してそれぞれに専門の仕事をやってもらった方が、作業の進み具合は速い。10倍の人数で12~15倍ぐらいにはなる。ほら、マネージャを養う余裕ができた。

「機能の分割」の辛い所は、一連の作業を一旦全て明文化しなくてはいけない事。何をやっているのか理解していないと、分割できない。
「とりあえず先輩の仕事ぶりを見て、それを盗んで」
などという、 自分でも何やってるか判りません 的な、あまっちょろい状態は許されない。

くっきり、すっきり、はっきりと、何をするべきかわかってくると、この先に進める。そう。機械化だ。