2007年3月19日

ドキドキの向こう側…

久々に出た Bruce Schenier の新作!! つーても、原書は2003年に出ているのだが。相変わらずセキュリティについて判りやすく書かせたら、この人の右に出る人はいない。しかし同時に、どんどんコンピュータセキュリティから離れていってしまう気がする。

まぁ、本書自体の感想は上記のリンクにある私の蔵書リストに任せるとして(そういうサボり方をするんだ…)、この本にはちょろっと言及しているのに、結局そこから先、深彫りしていない項目が1つあるので、それについて書こう。これを本の感想の所に書くと、本の感想なのか何なのか判らなくなるから。


テロなどに襲われる理由の一つに憎たらしいからと言うのがある。もちろん、人によって何が憎たらしいのかは変わるものなのだが、少なくともアメリカ人の唯我独尊振りは世界中に知れ渡り、一部のアメリカ人自身、
「おれはあの我侭なアメリカ人が大嫌いだ」
と主張するぐらいには、唯我独尊である事は認めてもらってもいいだろう、とは思う。この我侭振りと、直接会った場合の人に対する接し方の柔らかさは、まさに田舎者のそれ、そのものと言ってもよいだろう。目の前にあるものが重要で、その外にどれほど広い世界があるのか知らない、という意味で。

個人的にはその田舎者っプリは大好きだったりするのだが、まぁそうは言っても、その田舎者っぷりを全力で出したキリスト教徒が、ユダヤ教とイスラム教どちらを大切にするかと言われれば、そりゃ旧約聖書のお膝元、ユダヤ教なのであって。オリジンを翻訳しちゃいけないなどと言う制約までついているコーランに載っている話を「コーランに載っている話」として聞いたことのあるアメリカ人なんぞ十人に一人いれば多いほうなわけで…。

そんなアメリカ人とイギリス人が勝手にイスラエルなんて国を作ったらそりゃ頭にくるでしょう。しかもそこにいる連中が「ここは昔っからおらの土地だ」なんぞと寝言を吐いたら、どつきたくもなると言うもので。それに対して「大概にしとけよ」と言うのならばともかく「その通りだ」なんぞと言うアメリカ人は…そりゃテロの標的になろうっていうもの。


Beyond Fear の p.320 にはこうある。
反米感情が強い国が多いことから、海外では、カナダ人を装うアメリカ人が多い。

p.332 だと
攻撃者に目をつけられる者にならないのも、防御の一策だ。…企業なら、広報活動に力を入れることと、基本的によき企業市民である事だろうか。国家なら、責任ある行動を世界に示すことかもしれない。評判の悪い方針をとらないというのもひとつの方法だ。

とある。

防御と言う点から考えるならば、投資対効果という点からすれば、これ以上の「テロ防止策」はないだろう。ブッシュの行動や、アメリカの無責任な行動を見るにつけ、まさにこの評判の悪い方針ばかり取る事が、アメリカ最大の防御能力の低さの表れ、と言わざるをえまい。


昔、初めてアメリカに住んだ頃。親に言われたのが、
「日本人の代表だと思って行動しなさい」
と言うことだった。私が無様なことをすれば、日本人全部が無様だと思われる。失礼なことをすれば、日本人全体が失礼だと思われる。だからそのようなことの無いようにしなさい、と。

まぁ、実際問題としては、自分が正しいと思えばなんと言われようと闘うというスタンスになんら変わることはなかったのだが。運よくこのスタンスは 「American Justiceのために闘う」というアメリカ人の感性に訴えるものがあったらしく、ものすごく受けがよかった。果たして彼らにとっての日本人像がよくなっ たのか悪くなったのかは、自信が無いが、少なくとも私という人間の「防御」という観点からは、圧倒的な効果があったことは間違いない。


アメリカのように強大なパワーを持っている国の国民は、国外にいようが国内にいようが、自分の行動が国家の評判を上下するのだ、というスタンスを持って行動しなければ、発生する反感も強大になる。自分たちがいかに親切であるか、説明できるようではダメなのだ。説明できると言うことは、所詮 Countable な頻度でしか親切ではない、と言うことだ。そういう人に限って傲岸不遜振りは説明できないが、それは Uncountable なぐらい傲岸不遜なのだ、と思わなくてはいけない。マザーテレサの偉業を説明しきることなど出来るだろうか?


このような観点がものすごく過小評価されているのが、残念でならない。